正規ヒロインはあちらです! / 第10話 霊符越しの声と、近すぎる相棒

正規ヒロインはあちらです!10

身長149cmチビッ子だが、小さいと言われると怒る。胸は大きめ。口が悪くて生意気。 / 2026.10.12

霊符越しの声と、近すぎる相棒

朔の肩が、僅かに下がった。

朔「……霊符、か」

安堵と、別の何かが混ざった声。

朔(控えの間へ行かずに済む。直接会わずに済む)

朔(——だが、またあの男と繋がる。あの霊符で)

朔「尋問棟の裏に、使われていない物置がある。そこなら人目がない」

言いながら、ゆめの手元に目を落とす。

羽織の袖から覗く白い指。
懐から取り出された、耀の霊力が宿る紙片。

朔(昼もそうだった。あいつは面白がっていた。「保護者」と呼ばれた俺を見て、笑っていた)

朔(今度は何を言われる)

尋問棟の裏。
灯りの届かない物置の軒下。

ゆめが霊符に霊力を通すと、紙片が淡く光った。

数秒。

耀『——へえ。来ないで連絡か』

低い声。笑っている。
だが、その奥に別の温度があった。

耀『控えの間で待ってたんだがな。ツキノに伝言を頼んだのは、朧への牽制も兼ねてたんだが——まあいい。お前が俺の霊符を使ったってだけで、充分だ』

一拍。

耀『で、何の用だ。俺が呼んだのに、俺に用件を聞く気か。……面白いな、お前』

遠くで、何かが置かれる音がした。
盃だろうか。

耀『刺客の件は聞いた。標的はツキノだと。——お前じゃなくてよかった、と言ったら、どう思う?』

試すような声だった。

朔は物置の壁に背を預け、腕を組んでいる。

朔(……気に食わない)

朔(声だけで、こいつを、こんなふうに——)

霊符の光が、ゆめの顔を下から照らす。
星のような瞳が、淡く揺れていた。

「あっはは、標的が私なわけないじゃん!おもしろいこというね笑」
「なんか用事あったから呼び出したんでしょ〜? これで済むかなって。」

霊符の向こうで、耀が笑った。

耀『——「私なわけない」、か』

酒が入っている。
だが、酔ってはいない声だった。

耀『なんで分かる。お前の霊力がどれだけ異常か、自覚がないのか? 月詠の戦力を削るつもりなら、お前を狙う奴がいても不思議じゃねえぞ』

一拍。

耀『まあいい。用件は——そうだな、二つある』

声が少し近づく。
霊符に口を寄せたのかもしれない。

耀『一つ目。明日、朧が巫の護衛任務を組む。市街の怨霊掃討だ。お前も組まれるはずだ』

耀『本家の祝福持ちを差し置いて、黒髪の《影》を巫の近くへ置く。朧が普段の調子なら、まずやらねえ人選だろ?』

意味深に言葉を切った。

耀『ツキノが、お前の名前を上げたんだよ。「霊力の高いあの方にお願いしたい」ってな』

耀『召喚されたばかりだが、使える戦力はちゃんと見てるらしい』

声に、少しだけ皮肉が混じる。

耀『二つ目は——』

沈黙。

耀『お前の声が聞きたかった。それだけだ』

霊符が微かに震えた。
込められた霊力が、指先へ低い熱を伝える。

耀『朧の前で俺の霊符を使ったら、面白いだろうな。あいつの顔が見たい。八咫の当主が、自分の家の一兵に直通の連絡先を渡してると知ったら——』

耀『使うなよ? 冗談だ。……半分は』

朔が壁から背を離した。

霊符を持つゆめの手を見ている。
羽織の袖から覗く指。
光に照らされた横顔。

朔(——声が聞きたかった、だと)

朔(わざわざ巫へ伝言を頼んで、控えの間で待って。それだけのために)

朔(こいつは笑っている。「おもしろ」と。何も感じていない)

朔(だが、あの男は——)

朔(あの声は、笑っていない)

耀『ああ、もう一つ。今、何か羽織ってるだろ』

不意に、声の調子が変わる。

耀『霊符へ通ってくる力の感じが、昼と少し違う。お前のものじゃない霊力が、布に薄く残ってる』

耀『保護者くんから借りたのか?』

「え? みえてんの? すごいねぇ」
「これ朔の。保護者……はまあ外れてないかな」

霊符が震えた。

耀『——見えてはいない。そこまで便利な札じゃねえよ。お前が通した霊力に、羽織へ染みついた残り香が混じってるだけだ』

一拍。

耀『ああ、やっぱり保護者くんか』

笑っている。
だが、声の底が昼間より低かった。

耀『「外れてない」ってことは、お前もそう思ってんだな。保護者。——便利な男だ』

耀『こんな時間に羽織を貸すとは、世話が焼けるな』

朔が、霊符へ顔を向けた。

朔「……聞こえてるぞ」

低い声。

耀『おっ、いたのか保護者くん。夜に女の子と二人きりで物陰か。仕事熱心だな』

朔「任務中だ。お前こそ、来賓が一兵に私的な通信をするのは——」

耀『明日の任務の伝達もある。ツキノがお前の相棒を指名した件。——聞いたか?』

朔の目が、一瞬だけ細くなる。

朔(ツキノが、こいつを指名した)

朔(護衛に?)

朔(霊力を買ったのか。それとも、何か確かめたいのか)

朔「……俺も同行する」

耀『誰も聞いてないが。まあ、好きにしろ。保護者だからな』

朔の拳が握られた。
マスクの下で、歯が軋む。

耀は構わず続ける。

耀『なあ、ゆめ』

名前を呼ぶ声が、低くなった。

耀『その羽織、ずっと着てんのか。朔のものだと分かって、少し気になるな』

朔の視線が、ゆめへ落ちる。

襟は重ねた布とクリップで閉じられ、その上から黒い羽織が覆っていた。
鎖骨の逆鱗も、何も見えていない。

それでも、耀が声だけで距離を詰めてくるのが気に食わなかった。

朔の手が伸びる。

霊符を取り上げようとして——止まった。

取り上げる権利はない。
同僚だ。上官ではない。

指が、ゆめの手の横で宙に止まる。

朔「……切れ」

低く、掠れた声。
ゆめにだけ聞こえるように。

朔「そいつは、お前を——」

言いかけて、噛み殺した。

朔(何を言おうとした)

朔(「お前を狙っている」か)

朔(俺と、何が違う)

朔(俺だって——さっき、襟を直す仕草を目で追った)

朔(俺と、あの男と、何が違う)

耀『切らなくていいぞ。——明日、直接会える。楽しみにしてる』

耀『おやすみ、ゆめ。保護者くんも——精々、守ってやれよ。俺が来るまで』

霊符の光が、ゆっくり消えた。

静寂。

虫の音だけが残る。
物置の軒下。灯りのない暗がりに、二人だけ。

朔の羽織を着たゆめの輪郭が、月明かりにぼんやり浮かんでいた。
袖が余り、指先が隠れている。
大きすぎる羽織に、小さな体が埋もれていた。

朔は動かなかった。

霊符の光が消えた暗さに、目が慣れるまで数秒。

ゆめの呼吸だけが、近くに聞こえる。

朔(「俺が来るまで守ってやれよ」)

朔(あの男は——来る気だ。明日。直接)

朔(俺の羽織まで、気にしていた)

朔(俺は——羽織を貸しただけだ)

朔(それだけで、こうなっている)

沈黙が長い。
虫の音が、やけにうるさかった。

朔「——カガミの詳しい報告は明朝でいい」

声が低い。

朔「刺客が巫を狙った件は、警護に伝えてある。残りは夜番へ引き継ぐ」

一拍置く。

朔「送る。部屋まで」

歩き出す。
半歩先。いつもの距離。

だが指先が、微かに震えていた。

《影》の詰所への道。
月明かりだけが、石畳を照らしている。

朔は半歩先を歩いていた。

いつもの距離。
だが、いつもと違う沈黙。

霊符越しの耀の声が、まだ耳に残っている。

詰所で簡単な引き継ぎを済ませると、二人は裏手の居住棟へ回った。

《影》に割り当てられた、小さな個室が並んでいる。
ゆめの部屋は突き当たり。
朔の部屋は、その三つ隣だった。

廊下に人気はない。

宴の後片付けに駆り出されているか、任務に出ているか。
灯りは最低限で、二人の影だけが壁に伸びていた。

ゆめの部屋の前で、朔が立ち止まる。

振り返った。

マスクの上の目が、ゆめを見下ろしている。

自分の羽織に埋もれた小さな体。
袖から覗く指先。
月明かりに浮かぶ、星のような瞳。

朔「羽織」

低い声。

朔「返せ」

手を伸ばした。

羽織の襟元に指がかかる。
ゆめの首筋の、すぐ傍。

指先が、肌に触れるか触れないかの距離で止まった。

朔(……温かい)

朔(俺の羽織が、こいつの体温で——)

指が震える。

羽織の襟を掴んだまま、動かない。
脱がせるでもなく、引き寄せるでもなく。

暗い廊下で、首筋の傍へ指をかけたまま。

朔「……あの男が言ったこと」

声が低い。掠れている。

朔「声が聞きたかった、と。お前の」

指が、僅かに動く。

羽織の襟から、ゆめの首筋へ。

触れた。
指の腹が、耳の下の柔らかい肌に当たる。

ゆめの体が、微かに震えた。

朔の目が変わる。

朔(——震えた)

朔(耳の下に触れただけで)

朔(こいつ——耳が、弱いのか)

朔(何年も隣にいて、知らなかった)

朔(知らなかった、のに——今、知ってしまった)

指を離さなかった。
離せなかった。

耳の下の柔らかい肌。
脈が、指先へ伝わってくる。

朔「……お前」

空いた手が、マスクの紐にかかった。

外す。

月明かりの中へ、素顔が晒された。

整った顔。
だが今、その目は暗く、深い。

朔「明日、あの男が来る」

指が、ゆめの耳の輪郭をなぞった。

ゆっくりと。
耳朶の下から、耳の裏側へ。

朔「お前の声が聞きたいと言った。直接会うのが楽しみだと」

声が低くなる。

距離が縮まった。
半歩。また半歩。

壁が、ゆめの背中に近づく。

朔「俺は——何年も、隣にいた」

羽織の襟を掴んだ手が、ゆっくり引いた。
ゆめの体が、朔の方へ傾ぐ。

朔「飯を持っていって、薬を置いて、服が乱れれば教えて。それだけで——」

言葉が途切れた。

自分の声に驚いたように、口を閉じる。

歯を食いしばる音が、暗い廊下に落ちた。

朔「——……っ」

朔(何を言っている。俺は、何を——)

指は耳の裏に触れたまま、動かない。

脈が伝わる。
速い。

自分の鼓動も速かった。

朔「……忘れろ」

掠れた声。
喉が焼けるように熱い。

だが、指は離れなかった。

耳朶を、親指の腹がゆっくり撫でる。

離そうとして、逆に深く触れた。

柔らかい。
薄い耳の軟骨の裏側。

ゆめの肩が跳ねた。

朔の目が、暗く光る。

朔「……反応するな」

低い、命令のような声。

朔「反応したら——俺は」

壁が、ゆめの背中に触れた。

退路がない。
朔の体が影になって覆い被さっている。

マスクを外した素顔が近い。
息がかかる距離だった。

朔「……部屋に入れ。鍵をかけろ」

声が震えている。

朔「——今の俺の前で、その顔をするな」

「朔……近い……」

唇が触れるまで、あと一センチ。
言っていることとやっていることが真逆である。

百八十センチを超える長身と壁に阻まれた、百四十九センチの体。

朔の呼吸が止まった。

ゆめの唇が、月明かりの中で微かに開いている。

見上げてくる、星のような瞳。
大きすぎる羽織に包まれた小さな体。

「近い」と言った声が、震えていた。

朔「……分かってる」

分かっている。
近い。近すぎる。

だが、退けない。

耳の裏に触れた手が、動かない。

親指の腹が耳朶を撫でると、ゆめの肩が跳ねた。

小さな声が漏れる。
息とも声ともつかない、喉の奥の音。

朔(——今の、声)

朔(何年隣にいて、一度も聞いたことがない声だ)

朔の目が変わった。

朔「……お前、今——」

空いた手が壁につく。
ゆめの顔の横。

完全に退路を塞いでいた。

素顔が近い。
薄く開いた唇から、荒い息が漏れる。

朔「反応するなと言ったはずだ」

喉の底から、絞り出すような声。

親指が耳朶から耳の裏側へ滑った。

ゆっくりと。

ゆめの体が、壁を背にしたまま震える。
小さな手が、朔の羽織の袖を握った。

朔(——掴んだ)

朔(俺の羽織を。俺の——)

朔「っ……」

一センチが、消えた。

唇が触れる。

耐えきれずに距離を詰めた、ほんの一瞬。

朔が、弾かれたように顔を上げた。

朔「——」

目が見開かれる。

自分がしたことを理解するまで、数秒かかった。

朔(触れた)

朔(唇に)

朔(何年も隣にいた——俺が守ると決めた、この女の唇に)

ゆめの目が、見上げている。

壁を背にしたまま。
大きすぎる羽織に埋もれて。

朔の手が震えた。

耳から離そうとして、離れない。

朔「……忘れろ」

二度目。
同じ言葉だった。

朔「今のは——間違いだ。疲れて——」

嘘だった。

嘘だと、自分で分かっていた。

視線が、ゆめの唇へ落ちる。

朔(もう一度)

朔(もう一度、触れたい)

朔(触れたら——次は、離せない)

手が、ゆめの顎を掴んだ。

昼間、朧がしたのと同じ場所。
だが、力の入れ方が違う。

親指が、下唇に触れた。

朔「……お前が悪い」

声が低い。震えている。

朔「『朔がいないと無理』。あの言葉のせいだ」

朔「耳に触れたら震える。唇に触れたら——こんな顔をする」

親指が、下唇を押し開く。
濡れた内側へ、指の腹が触れた。

朔「……何年も、隣にいたのに」

声が壊れかけている。

朔「こんな声を出すと、知らなかった」

親指が唇の内側を撫でた。
歯列に触れ、舌先に当たる。

吐息が、指を濡らした。

朔の目が、暗く燃えていた。

第10話 / 全13話
  1. 第1話 出会い
  2. 第2話 保護者じゃねえ
  3. 第3話 お昼休みとお呼び出し
  4. 第4話 謝罪は形だけ
  5. 第5話 それぞれの胸の内と外周警護
  6. 第6話 外周に集まらないでください
  7. 第7話 暇潰しとお土産
  8. 第8話 半歩先の相棒
  9. 第9話 宴のあとにお呼び出し
  10. 第10話 霊符越しの声と、近すぎる相棒
  11. 第11話 いつもの朔じゃない
  12. 第12話 超える一線
  13. 第13話 ここにいて