正規ヒロインはあちらです!05
それぞれの胸の内と外周警護
午後の光が、月詠本家の各所に斜めに差し込んでいる。

【朔】
《影》の詰所。壁に背を預け、マスクを外していた。
朔(……「別に、お前はお前のままでいい」)
朔(何だあれは)
天井を見上げる。木目が歪んで見えた。
朔(薬を置いた。飯も置いた。紙まで書いた。……何年同じことやってる)
朔(あいつが任務で血だらけになって帰るたびに、飯を用意して、傷薬を置いて。それが俺の役目だって思ってた)
朔(誰もあいつに興味を持たない。祝福のない黒髪。穢れ扱いの《影》。だから俺が面倒を見る。それだけだ)
拳を握る。
朔(——そのはずだった)
耀の顔が浮かぶ。金髪。琥珀の瞳。
あいつの視線が、ゆめの霊力を、ゆめの顔を、面白そうに眺めていた。
朔(八咫の当主が霊符を渡した)
朔(朧が髪を掴んで、顎を掴んで、首筋に扇を当てた)
朔(巫が「また話を聞かせて」と言った)
朔(……たった一日で)
歯を食い縛る。
朔(誰も見ない、って前提が崩れてる。あいつは、見られてる)
朔(なら俺は何だ。「同僚」って言葉で、何を守ってたんだ)
昼の言葉が、また耳に蘇った。
朔(「素直で可愛かったら良かったのに」)
朔(……可愛くないと、誰が言った)
その思考に自分で気づいて、朔は壁に頭を打ちつけた。
鈍い音が詰所に響く。
朔(夕方には外周警護。……あいつの隣に立つ。それで十分だ)
朔(十分、だろ)

【耀】
来賓用の離れ。縁側に腰を下ろし、庭を見ている。
耀(月詠の当主、俺の目の前で巫を可愛がって、黒髪の警護を「穢れ」と呼んだ)
耀(面白いな。あの霊力を「穢れ」と言えるのは、節穴か、怖いか)
耀(——朧は後者だ)
指先で、縁側の板を軽く叩く。
耀(儀式の時、感じた。あの霊力は底が見えない。八咫の本家で測っても上から数えた方が早い。……俺を含めてもな)
耀(それが黒髪で、《影》で、報酬没収で、土下座させられて)
昼の処分については、従者が聞きつけて報告してきた。
一族の戦力を担う者への扱いとして、随分な話だった。
耀(月詠は何を飼ってるのか分かってないのか、分かっててあの扱いなのか)
耀(どっちでも、勿体ない)
霊符を渡した時の手を思い出す。
小さな掌。前線で戦う者とは思えないほど細い指。
耀(……渡して三十秒で使いやがったな)
口角が上がる。
耀(「もしもーし? 聞こえてる?」って。あいつ、あれがどういう札か分かってんのか)
耀(だが、本当に困った時にも使うかは別だ)
耀(朧に中指立てる女が、素直に助けを求めるとは思えねえ)
庭を渡る風に、金髪が揺れた。
耀(だから、見てて飽きない)
耀(ツキノ、だったか。巫。白髪に灰の目。確かに綺麗だ。「正しい」姫だ)
耀(……なのに、何で俺はあっちを見るんだろうな)
胸の奥に、引っ張られるような違和感がある。
巫の方を見ろ、と何かが言っている。
耀(うるせえな)
内側の違和感を、鼻で笑って押し潰す。
耀(俺が誰を見るかは、俺が決める)
盃の代わりに置かれた茶を、一口飲んだ。
耀(宴で、またあの黒髪の顔を見てやるか)
耀(土下座の後に、どんな顔してるのか——気になる)

【朧】
執務室。扇を閉じ、机に置いた。
朧(……謝罪は済んだと、ツキノ様から報告があった)
朧(それで終わりだ。穢れが頭を下げた。私の権威は保たれた)
指先を見る。
朧(——あの髪の感触が、まだ残っている)
朧(柔らかかった。黒くて、重くて、暖かかった)
扇を再び開き、口元を隠す。
誰も見ていない部屋で。
朧(何故、処分を軽くした。何故、あの目を思い出す)
朧(怯えない、黒い目。私を睨み返して——)
朧(……不快だ。不快なはずだ)
扇の奥で、朧の頬が熱を帯びていた。

【カガミ】
尋問棟。道具を拭いている。
カガミ(朔は壊れかけ、朧は熱を持ち、耀は面白がり、巫まで目を向けた)
カガミ(たった一日で、ね)
布を滑らせる手が、少しだけ止まる。
カガミ(……俺も、耳を触っただけで笑えた)
刃を光に向けた。
カガミ(あの子、自分が何をしているか分かっていない)
カガミ(そこが一番——危ないんだよね)
磨かれた刃に、細い午後の光が映った。
——やがて、歓迎の宴の時間が訪れた。
夕暮れが月詠本家の屋根を朱に染め、藍へと沈んでいく。
大広間には灯が入り、白い襖の向こうから雅楽の音が漏れていた。
白髪の一族が列をなし、分家の当主たちが頭を下げる。
上座にはツキノ。薄桃の正装に、白い髪を飾る銀の簪。
その隣には朧が座り、扇を手に、微笑みながら来賓へ言葉を返していた。
外周。庭の暗がり。
ゆめと朔は、灯の届かない回廊の端に立っていた。

朔「……静かだな」
視線は庭を這っている。
怨霊の気配はない。
あるのは、宴の笑い声と、箸の音と、遠い雅楽だけだった。
朔「中は賑やかで、俺らは闇の中。いつも通りだ」
ぶっきらぼうに言い、ゆめの顎を一瞥する。
赤い跡は、ほとんど消えていた。
朔(……塗ったか)
朔(飯も食ったか。紙、読んだか)
聞かない。
聞いたら、また余計なことを言いそうだった。
庭の砂利を踏む音がする。
警護ではない。
足音が、堂々としすぎている。

耀「おう。いた」
金髪の男が、庭灯を背に歩いてきた。
正装のまま襟元を緩め、手には盃。
宴を抜けてきたのは明らかだった。
耀「探したぞ。上座から見渡しても、黒い髪が一つもねえんだからな」
朔が半歩、前に出る。
朔「来賓は大広間へ。ここは警護区域です」
耀「怨霊が出たら困るから、警護の様子を見に来た。問題ねえだろ」
笑って、朔を横目で見た。
それから、ゆめへ視線を落とす。
耀「土下座したんだってな。巫に」
嬉しそうですらある声だった。
耀「で? どんな顔して頭下げた。見てなかったのが惜しくてな」
盃を傾ける。
庭灯を映した琥珀色の目が、ゆめの顔を捉えた。
耀(……跡がある。顎)
耀(ほとんど消えてるが、薄く残ってるな)
昼の処分の話が、頭をよぎる。
耀(朧か)
笑みの質が、一瞬だけ変わった。
耀「——ふん」
その時、大広間からざわめきが漏れた。
足音。
誰かが回廊へ出てくる。

ツキノ「耀様? どちらへ——」
薄桃の裾が、灯の中に現れた。
宴を抜けた耀を、ツキノが追ってきていた。
その瞳が耀の背中を捉え、さらに、その先へ向く。
暗がりに立つ黒髪。
隣には、昼と同じ白髪の《影》。
ツキノ(……また)
ツキノ(また、この人のところ)
笑顔を浮かべたまま、足が止まった。
朔の肩に、力が入った。