正規ヒロインはあちらです!11
朔「知りたくなかった」
嘘だ。
朔「知ったら——戻れない」
顎を掴んだ手が、ゆめの顔を上へ向かせた。
首が反る。
月光に晒された喉が、小さく動いた。
壁の冷たさが背中に伝わる。
大きすぎる羽織の中で、肩が強張った。
朔「……部屋に入れ」
低い声だった。

朔「あと三秒だ。入らなかったら——」
言葉が途切れる。
顎に添えられていた指が、首の側面へ移った。
襟に隠れた鎖骨の手前で止まる。
朔「俺のせいにするな」
ゆめは、動けなかった。
部屋に入れと言われた。
引き戸へ手を伸ばせばいい。
分かっているのに、体が言うことを聞かない。
目の前にあるのは、見慣れた朔の顔だった。
けれど、その目も、声も、いつもとは違う。
何を言えばいいのか。
動いたら、どうなるのか。
考えるほど、息が浅くなった。
一秒。
指先が、羽織の袖の中で縮こまる。
二秒。
口を開きかけた。
声が出ない。
三——。
引き戸には、手が届かなかった。
代わりに、近くにあった朔の胸元の布を掴んでいた。
近づきたいからではない。
膝から力が抜けそうで、何かに縋らなければ立っていられなかった。
朔の目が見開かれる。
朔「——お前」
視線が、布を掴む小さな手へ落ちた。
朔「入らないのか」

違う。
入らないのではなく、入れない。
ゆめは首を振ろうとした。
顎を上げられた姿勢のままでは、うまく動かせなかった。
朔「入らないなら——俺は」
震えも、沈黙も。
胸元を掴んだ指も。
どれも、続きを望む返事ではなかった。
けれど、その意味を確かめる言葉が出る前に、朔の手がゆめの体を掴んだ。
片腕で腰を抱え、もう片方の手で引き戸を開けた。蹴るように中へ入り、背中で戸を閉めた。暗い部屋。月明かりだけが障子の隙間から差し込んでいる。
畳の上に、ゆめを押し倒した。
大きすぎる羽織が広がって、ゆめの体が黒い布の中に沈む。白い肌。散らばる黒髪。見上げてくる星のような瞳。
朔は、その上に覆い被さった。
朔「……俺のせいじゃないからな」
低い。掠れている。壊れかけの声。
朔の手が、ゆめの顎を掴んだ。昼間の朧と同じ場所。だが角度が違う。上から、押さえつけるように。
親指が顎の痣——朧がつけた跡を、ゆっくりと撫でた。
朔「……ここに、あいつの痕が残ってる」
声が低くなる。暗くなる。
朔「消す」
唇が落ちた。顎の痣の上に。舌が這った。朧がつけた紫色の跡を舐めるように、歯で軽く噛んだ。
ゆめの首が反る。喉から、小さな声が漏れた。
朔(——この声)
朔(さっき、廊下で聞いた声と同じだ)
朔(もっと聞きたい)
朔の手が、羽織の襟を開いた。クリップが弾け飛んだ。着物の合わせが崩れ、鎖骨から胸の谷間まで一気に晒された。
朔の動きが止まった。
月明かりの中。白い肌。小さな体に不釣り合いなほど豊かな胸が、着物の隙間から溢れている。肌着の紐が肩から落ちかけている。呼吸のたびに柔らかく揺れる。
朔「……これを、押し込んでたのか」
声が低い。喉の奥が焼けている。
朔「俺の目の前で。カガミの前で。耀の前で——」
手が伸びた。ゆめの胸に触れた。
指が沈んだ。柔らかい。想像を超えていた。149センチの小さな体に、手のひらに収まりきらない大きさ。指の間から白い肉が溢れる。
朔「っ——」
朔の息が止まった。
朔(柔らかい)
朔(こんなに——こんなに、柔らかいのか)
朔(何年も隣にいて。何度も襟を直せと言って。その下が、こんな——)
指が、無意識に握った。ゆめの体が跳ねた。背中が畳から浮いた。声が漏れた。甘い、壊れかけの声。
朔「声を出すな」
命令。低い声。だが手は止まらない。
朔「壁が薄い。隣の部屋に——」
ここは《影》の詰所だ。壁一枚の向こうに、同僚たちが寝ている。
しかし朔の手は止まらなかった。
朔「……聞かれるぞ」
低い。だが指はゆめの胸を掴んだまま離れない。柔らかい肉が指の間から溢れている。
朔「声、出すなよ」
空いた手がゆめの口を塞いだ。大きな掌が、唇から顎まで覆う。ゆめの吐息が指の隙間から漏れる。熱い。湿っている。
朔の膝が、ゆめの脚の間に割り込んだ。着物の裾が捲れ上がる。白い太腿が月明かりに晒された。
朔「——こんな体してたのか」
声が壊れている。
朔の目が、ゆめの全身を舐めるように辿った。黒髪が畳に散っている。口を塞がれた星のような瞳が、潤んで見上げてくる。
大きすぎる羽織の中で、小さな体が震えている。
朔「……何年も、隣にいたのに」
親指が、塞いだ口の上からゆめの下唇を押した。
朔「知らなきゃよかった」
嘘だった。
ゆめの鎖骨の間にある黒龍の逆鱗が顕になる。
朔の手が止まった。
着物の合わせが崩れ、羽織が肩から落ちかけたゆめの鎖骨のあたりに。
月明かりが、それを照らしていた。
鱗。
黒い、鱗。
畳に押し倒されたゆめの体。白い肌の上に浮かび上がる、黒曜石のような光沢を持つ逆鱗。
月光を受けて虹色に揺らめく。小さな体に似合わない、禍々しいほどの美しさ。
朔の呼吸が、完全に止まった。
朔「——なん、だ、これ」
声が出ていなかった。唇が動いただけだった。
ゆめの口を塞いでいた手が離れた。胸を掴んでいた指が、逆鱗の縁に触れた。硬い。滑らかで、冷たくて、人間の肌ではない感触。
指の腹で撫でた瞬間、鱗が微かに脈打った。ゆめの体が痙攣するように跳ねた。
朔「っ——」
朔の指が弾かれたように離れた。
だが目は離れなかった。
暗い部屋の中、月明かりだけが差す畳の上。黒髪が散り、着物が乱れ、羽織に埋もれた小さな体の——肋の下に。
黒い鱗が、呼吸に合わせて明滅している。
朔(黒)
朔(黒い、鱗)
朔(——逆鱗)
朔の顔から、すべての色が消えた。
《影》の人間だ。月詠の暗部で何年も働いてきた。怨霊を斬り、裏を知り、一族の禁忌に触れてきた。だから——知っている。
黒龍。
滅びたはずの、龍脈の王。月詠が千年かけて狩り尽くしたはずの存在。その逆鱗が、人間の体に顕れるということが何を意味するか。
朔「お前——」
声が震えていた。口を塞いでいた手が、畳についている。ゆめの顔の横。覆い被さったまま、見下ろしている。
朔の目が、ゆめの顔を見た。
星のような瞳。黒い髪。月詠に生まれながら、祝福の証を一つも持たなかった女。異常なほど高い霊力。捨てられるはずだったのに、生かされた理由。
朔(——霊力が高すぎた)
朔(祝福がなかった)
朔(白髪でも、アッシュグレーの瞳でもなかった)
朔(黒髪だった。ずっと——最初から)
全部、繋がった。
朔の手が震えている。ゆめの顎を掴んでいた指が、力を失っている。数秒前まで欲望に燃えていた目が、今は別の感情で揺れていた。
恐怖ではない。
嫌悪でもない。

朔「——何年、黙ってた」
低い。掠れている。
朔「俺の隣で。俺と任務に出て。俺に背中を預けて——」
朔「これを、隠してたのか」
声が割れた。怒りとも苦痛ともつかない。
朔は体を起こした。覆い被さっていた姿勢から、片膝をついた状態へ。
ゆめを見下ろしている。畳に広がる黒髪。乱れた着物。露わになった逆鱗が、月光の中で静かに脈動している。
朔が、ゆめの逆鱗に口付ける。 両手を片手で束ねて。
朔の唇が、逆鱗に触れた。
硬い。冷たい。人間の肌ではない感触が、唇の粘膜に伝わる。黒曜石のような鱗が、口づけた瞬間——脈打った。
ゆめの体が跳ねた。
「っ——」
声が漏れた。背中が畳から浮き上がり、束ねられた両手が朔の片手の中でもがく。だが朔の指は鉄のように締まっていて、手首の細い骨が軋んだ。
朔の唇が離れない。
逆鱗の上で、舌が這った。
鱗の縁を舐め上げると、黒い表面が虹色に明滅した。
ゆめの霊力が、逆鱗を通じて朔の舌先に触れる。電流のような痺れ。朔の舌が一瞬止まり——また動いた。今度は鱗の中心を、押しつけるように。
ゆめの喉から、甘い悲鳴が零れた。
朔「……ここか」
唇を離さないまま、声が振動として逆鱗に伝わる。
朔「ここに触れると——こんな声、出すのか」
片手でゆめの両手首を頭上に押さえつけたまま、空いていた手が着物の合わせをさらに開いた。
白い肌が月明かりに晒される。肋骨の下、左の脇腹から胸の谷間にかけて。逆鱗は、思っていたより大きかった。
親指ほどの黒い鱗。
その周囲の肌が、赤く染まっている。朔の唇と舌が這った跡。
朔「何年——」
声が震えている。
朔「何年、こんなもの抱えて」
唇が逆鱗の縁を辿った。鱗と肌の境目——一番敏感な場所だと、今の反応で分かった。
舌先がその境界線をなぞると、ゆめの腰が跳ね上がった。束ねられた手首が、朔の掌の中で痙攣する。
朔「暴れるな」
低い声で命令される。
だが声の奥に、別のものが混じっている。怒りでも欲望でもない——恐怖に近い何か。
朔(黒龍)
朔(こいつが——黒龍)
朔(月詠が千年かけて滅ぼした存在が、こんな小さな体の中に)
朔(バレたら——)
朔の歯が、逆鱗の縁を噛んだ。軽く。だが確かに。硬い鱗の感触が歯に伝わり、ゆめの全身が弓なりに反った。
「あ——っ」
声を殺しきれていなかった。壁が薄い。隣の部屋に同僚がいる。
朔の手が、ゆめの口を塞いだ。手首を押さえていた手を離し、代わりに口を覆う。
ゆめの両手が自由になった瞬間——朔は構わなかった。
逆鱗から唇を離し、顔を上げた。
ゆめを見下ろしている。
月明かりの中。畳に押し倒された小さな体。乱れた着物。露わになった逆鱗が、朔の唾液に濡れて光っている。
口を塞がれた星のような瞳が、潤んで見上げてくる。
朔「……これがバレたら」
声が低い。
朔「月詠に知られたら——朧に知られたら。お前は…。」
どうなる。監禁か、それともさらに使い潰されるか、処刑か、考えたくもない。
手が口から離れた。代わりに、ゆめの頬を掴んだ。顔を上に向かせる。
朔「…分かってるのか」
ゆめの目を、真っ直ぐ見ている。
朔の瞳が揺れていた。怒り。恐怖。そして——それらの奥に、もっと深い、名前のつかない感情。
朔「……答えろ」
沈黙。
ゆめの瞳が、月明かりの中で星のように光っている。乱れた着物。唾液に濡れた逆鱗。頬を掴む朔の指が震えている。
返事がない。
朔の親指が、ゆめの頬骨を強く押した。顔を固定するように。逃がさないように。
朔「俺が——何年、お前の隣にいたと思ってる」
声が裂けた。
朔「背中を預けて。庇って。襟を直せと言って——その下に、こんなものがあるのを」
指が頬から顎へ滑り、首筋を掴んだ。締めてはいない。だが逃げられない力。
朔「一言も、言わなかったのか」
喉を掴んだ手の下で、ゆめの脈が速く打っている。

朔「……俺は、信用されてなかったのか」
最後の一言だけが、かすれて小さかった。
「だって……気持ち悪がられると思って……」
朔の手が止まった。
首筋を掴んでいた指が、力を失った。
「気持ち悪い」。
その言葉が、暗い部屋の中に落ちた。
朔「……気持ち悪い?」
声が低い。だが怒りではない。もっと深い場所から出ている音。
朔「気持ち悪いだと」
首から手を離した。ゆめの顎を掴み直し、顔を上に向かせた。月明かりの中、潤んだ星のような瞳が朔を見上げている。
朔「——お前、俺を馬鹿にしてるのか」
掠れた声。喉の奥が焼けている。
朔「何年隣にいたと思ってる。何年背中を預けてきたと思ってる」
親指がゆめの頬を押した。涙の跡を辿るように。
朔「お前の体に何があっても——」
言いかけて、止まった。
朔は黙ったまま、体を沈めた。ゆめの上に覆い被さり直し、着物の合わせをさらに開いた。
逆鱗が完全に露わになる。月光を受けて虹色に揺らめく黒い鱗。朔の唾液がまだ表面に残っていて、光を弾いている。
朔の唇が、逆鱗に落ちた。
二度目の口づけ。
今度は違った。さっきのような衝動ではない。ゆっくりと、確かめるように。硬い鱗の表面を唇が辿る。
縁から中心へ。鱗と肌の境界線を、舌先が丁寧になぞった。
ゆめの体が震えた。両手が自由になっているのに、抵抗しなかった。朔の髪に指が触れた——掴んだのか、縋ったのか。
朔「……気持ち悪いか」
逆鱗の上で、唇が震えた。
朔「これが——気持ち悪いか」
舌が鱗の中心を押した。脈打つ。ゆめの体が跳ねる。甘い声が漏れる。

朔「お前の体だろうが」
歯が逆鱗の縁を噛んだ。軽く。だが確実に。鱗が朔の歯の感触に反応して明滅し、ゆめの背中が畳から浮いた。
朔「——俺がこれを気持ち悪がると思ったのか」
顔を上げた。
月明かりの中、朔の目が濡れていた。泣いているのではない。怒りでもない。名前のつかない感情が、黒い瞳の底で燃えている。
朔「黒龍だろうが何だろうが」
ゆめの髪を掴んだ。黒い髪。祝福の白を持たなかった髪。朔の指の間を、絹のように滑る。
朔「お前はお前だ」
低い。震えている。壊れかけの声。
朔「俺の——」
言葉が途切れた。
「俺の」何だ。同僚か。相棒か。守る対象か。
朔の口が、答えを見つけられないまま閉じた。代わりに、唇がゆめの額に落ちた。鱗ではなく。肌に。髪の生え際に。
長い沈黙。
朔の呼吸だけが聞こえる。荒い。不規則。ゆめの心音と混じり合って、暗い部屋の中に溶ける。
朔「……二度と言うな」
額に唇を押しつけたまま。
朔「気持ち悪いなんて——二度と、自分に言うな」
唇が重なった。
深い。
朔の舌が、ゆめの唇を割って侵入する。小さな口。熱い内側。歯列を越え、舌先が絡む。ゆめの喉から、くぐもった声が漏れた。呑み込まれる。音になる前に、朔の口の中へ。
朔(——小さい)
朔(口の中まで、こんなに)
舌がゆめの舌を押しつぶした。逃げようとする柔らかい肉を追い、絡め、吸い上げる。唾液が混じる。喉の奥まで探るように、角度を変えて何度も深く入り込んだ。
ゆめの指が、朔の髪を掴んだ。
引き剥がすためではなかった。縋るように。朔の後頭部を掴んだまま、小さな手が震えている。
朔「っ……ん」
朔の喉からも、声が漏れた。
大きな手が、ゆめの頬を包んだ。両側から。顔を固定し、逃げ場をなくして、さらに深く。ゆめの顎が開かれる。息が苦しくなるまで、朔は離さなかった。
ようやく唇が離れた時、銀の糸が月光に光った。
ゆめの唇から、顎へ。濡れた跡が伝う。
朔「——はっ、……」
朔の息が荒い。目の焦点が、ゆめの濡れた唇に合っている。
朔「……名前」
掠れた声。
朔「今、俺の名前を呼んだな」
親指が、ゆめの濡れた下唇を拭った。拭ったはずなのに、塗り広げただけだった。
朔「もう一回」
低い。喉の底から。
朔「呼べ」
言葉を待たなかった。
朔の唇が、再びゆめの口を塞いだ。今度は噛みつくように。下唇を歯で挟み、舌で舐め、また深く侵入する。
ゆめの体が畳の上で跳ねる。朔の膝が、着物の裾を割ってゆめの脚の間へ押し込まれた。白い太腿が月明かりに晒され、朔の腿が内側に当たる。
着物が肩から完全に落ちた。肌着の紐が解け、豊かな胸が零れ出る。逆鱗の黒が、白い肌の中で脈打っている。
朔の手が、胸を掴んだ。
口づけたまま、指が沈む。柔らかい。溢れる。朔の掌から逃げ出すほどの量。親指が先端を探し、見つけ、押し潰した。
ゆめの悲鳴が、朔の口の中で砕けた。
朔「……っ」
唇を離した。ゆめの耳元へ、顔を寄せる。
朔「声、出すなって言っただろ」
囁き。耳朶に、唇が触れる距離。
朔「隣に、聞かれる」
熱い息が耳に流れ込んだ。ゆめの全身が震えた。弱い場所。知っている。もう知ってしまった。
朔の舌が、耳の縁を舐めた。
朔「……それとも」
歯が耳朶を噛む。
朔「聞かれたいのか」
空いた手が、ゆめの太腿の内側を撫で上げた。着物の裾の奥へ。ゆっくりと。皮膚の薄い場所を辿って、上へ。
朔「……俺の女だって、全員に」