正規ヒロインはあちらです!07
暇潰しとお土産
「芋づる式でみんな来るの草w
さ、仕事仕事。怨霊の何匹かでも出てくれたら暇潰せるのになぁ」
朔の足が、一瞬止まった。

朔「……芋づる式」
低い声で繰り返す。
呆れているのか、笑っているのか、マスクの下は分からない。
朔「当主、来賓、巫。月詠の最重要人物三人が警護区域に来て、お前は『草』で済ませるのか」
半歩先を歩きながら、肩越しに視線を落とした。
灯に照らされたゆめの顔。
さっきまで朧に見下ろされ、耀に見つめられていたのに、もう「怨霊で暇潰し」などと言っている。
朔(——いつもこうだ)
朔(怖くないのか。怖いと思わないのか)
朔(朧に処分され、耀に目をつけられ、巫にまで睨まれて)
朔(それでもこいつは、隣で怨霊の話をしている)
胸の奥が、じくりと痛んだ。
朔「怨霊を暇潰しにするな。……まあ、来てくれた方が楽ではあるが」
回廊を歩く。
二人分の足音。
片方は重く、片方は軽い。
いつもの距離、いつもの配置。
だが、いつもと違うことが一つあった。
朔の視線が、何度もゆめの横顔に落ちる。
黒い髪が肩にかかっていた。
着物の襟元は、さっきの騒ぎで少し乱れている。
白い首筋。鎖骨の影。
朔は目を逸らした。
朔(……襟)
朔(直せと言うべきだ)
朔(昼にも言った。同じことだ)
朔(同じことの、はずだ)
喉が渇いた。
昼は何の躊躇もなく言えた言葉が、今は出てこない。
耀の声が、頭の中で反響していた。
「お前、自分がどういう顔してるか分かってねえだろ」
朔(——分かってない。こいつは何も分かってない)
朔(あの男が、どういう目でこいつを見ていたか)
朔(朧が、何であんな顔をしていたか)
朔(こいつの何が、あいつらを引き寄せるのか)
拳を握った。
朔「……襟」
短く言って、立ち止まる。
ゆめへ向き直った目が、首筋を一瞬捉え——逸れた。
朔「乱れてる。直せ」

声が硬い。
秋の虫が鳴いている。
回廊の向こうでは、雅楽が静かに流れていた。
朔は黙って、ゆめが直すのを待つ。
自分の手で直そうとはしなかった。
昼は、指摘だけで済んだ。
今は、触れたら駄目だと思った。
理由は分からない。
ゆめが襟を引き寄せたのを確認して、背を向ける。
朔「……宴が終わるまで、まだかかる。外周を一巡するぞ」
歩き出す。
半歩先。いつもの位置。
朔(あの男が、また来ると言った)
朔(「また来る」と)
朔(——来させるか)
マスクの下で、歯を噛んだ。
——その後、二人はゆっくり外周を回った。
一巡する間に、小さな怨霊が三体。
最初の一体は、庭園の池の底から這い出た水棲型。
二体目は、土蔵の裏に張り付いていた残留思念の塊。
三体目は、少し厄介だった。
宴の灯りと人の気に引き寄せられた、中級寄りの浮遊型。
触手のような霊体を伸ばし、結界の隙間を探っていた。
朔が、物理化した触手の先端を切り落とす。
本体が怯んだ隙に、ゆめが祓った。
何度も繰り返してきた連携。
言葉は、ほとんど要らなかった。
朔「——終わりだ」
三体目の霊核が砕け、夜気へ溶けていく。
朔は刃を収め、周囲を確認した。
朔「宴の日にしては多いな。結界の張り直しが必要かもしれん」
それから——回廊の暗がりに、別の気配。
人間のものだった。
朔が先に動いた。
音もなく闇へ踏み込み、柱の影から飛び出した黒装束の腕を掴む。
関節を極め、そのまま地面へ叩きつけた。
一拍。
もう一人が屋根から降りてくる。
そちらも朔が迎撃した。
壁へ押さえ込み、短い抵抗の末に意識を落とす。
二人とも、霊術の痕跡はない。

短刀と毒針。
術者ではなく、暗殺に特化した人間の刺客だった。
朔「……宴の混乱に乗じたか」
黒装束の懐を探る。
所属を示すものはない。
だが、短刀の拵えを見た朔の目が細くなった。
朔「カガミに渡す。こいつらの口から吐かせた方が早い」
二人を縛り上げ、運べるように担ぐ。
朔「ここで待つか?」
ゆめへ尋ねた。
尋問棟は本家の北端。
往復すれば、少し時間がかかる。
だが、返事を待つ前に思い直した。
朔「……いや。一緒に来い。お前を一人にはしない」
耀が「また来る」と言った。
朧がどこにいるかも分からない。
そのどちらも、口にはしなかった。
ただ「一人にはしない」とだけ言って、歩き出す。
——尋問棟。
北端にある、灯りの少ない建物。
中から微かに、金属の触れ合う音が聞こえた。
両手の塞がった朔が、足先で戸を叩く。

カガミ「……開いているよ」
中へ入ると、椅子に座っていたカガミが振り返った。
手には細い金属の棒。道具の手入れをしていたらしい。
カガミ「おや。朔が直接来るなんて珍しいね。しかも、お土産付き?」
床に下ろされた二人を見て、愉しげに目を細める。
カガミ「ふうん。宴の日に忍び込んだんだ。大胆だね」
刺客の懐から出た短刀を拾い上げ、灯にかざした。
カガミ「この拵え……まあ、本人たちに聞けば分かるかな」
視線がゆめへ移る。
カガミ「君も来たの? 朔が離してくれなかった?」
朔の肩が、僅かに強張った。
朔「……警護中だ。当然だろう」
カガミ「ふうん」
笑みが深くなる。
道具を置いて、立ち上がった。
カガミ「朔が『当然だろう』って言う時は、大体、当然じゃない時なんだよね」
朔「……黙れ。尋問しろ」
カガミは肩を竦める。
刺客の傍へ屈み、意識のない顔を検分した。
首筋の脈を確かめてから、二人へ目を戻す。
カガミ「まあ、いいよ。見ていく? それとも——」
視線がゆめへ流れた。
外周を回り、怨霊を祓ううちに、直したはずの襟がまた緩んでいる。
カガミ「……君、襟元が乱れているよ」
朔が僅かに身じろいだ。
カガミは、それを見逃さなかった。
カガミ「おや、朔。気づいていたんだ。……直してあげなかったの?」
朔「警護に戻る」
短く言い捨て、背を向ける。
カガミ「君は、後でお酒の続きに来てもいいよ」
柔らかな声が、背中を追いかけた。
「えー、ゆっくりしようよ。朔〜」
「大丈夫だって、式神置いてるし。何言うか気になるじゃん」
朔の足が止まる。
朔「……式神を置いてるから大丈夫、じゃない」
振り返った目が、ゆめを捉えた。
朔「尋問は見世物じゃない。カガミのやり方は——」
言いかけて、口を閉じる。
ゆめは《影》だ。
カガミの尋問がどういうものか、知らないわけがない。
何年も同じ組織にいる。
朔(……分かっていて、見たいと言っている)
朔(刺客の素性が気になるのは、俺も同じだ)
朔(だが)
視線が、また襟元へ落ちる。
乱れた合わせ。
尋問棟の薄暗い灯りが、鎖骨の線に影を作っていた。
カガミの目の前に、この格好で。
朔「……好きにしろ」
諦めたように吐き出し、部屋の奥へ戻った。
カガミは、既に準備を始めていた。
刺客の一人は椅子に縛り付けられ、もう一人は隅に寝かされている。
水をかけられた男が、低く呻いた。
カガミ「おや、残ってくれるんだ」
ゆめを見て、嬉しそうに目を細める。
カガミ「朔が許したの? 珍しいね」
朔は壁に背を預け、腕を組んだ。
答えない。
カガミは刺客の前へ屈み込む。
意識が戻りかけた男の顎を持ち上げ、顔を確かめた。

カガミ「さて。宴の夜に月詠本家へ忍び込むなんて、度胸があるね」
声は穏やかだった。
世間話でもするように。
カガミ「短刀の拵え、見せてもらったよ。面白い作りだね。どこの工房?」
男は答えない。
口を引き結び、カガミを睨んでいる。
カガミ「ふうん」
道具を一つ、手に取った。
細い金属の棒。先端が僅かに曲がっている。
カガミ「ねえ、ゆめ」
振り返らずに呼ぶ。
カガミ「爪の下って、神経が密集しているのは知っている?」
柔らかな声だった。
カガミ「一本目で、大体の人は話してくれるんだけどね。たまに頑張る人がいるんだ」
男の指先へ、金属の先端を添える。
カガミ「そういう人の方が、俺は好きだよ」
刺客の呼吸が変わった。
カガミは刺客の右手を取り、椅子の肘掛けへ固定した。
手首だけでなく、指の付け根にも細い革帯をかける。
男が腕を引いた。
革が軋む。
指先だけが、肘掛けの端から出ていた。
カガミ「動かさない方がいいよ。余計なところまで傷つくから」
机の上へ、短刀と毒針を並べる。
最後に、先端の曲がった細い道具を置いた。
金属が木に触れる音に、男の視線が落ちる。
カガミ「聞きたいことは三つ。依頼人、標的、それから人数」
返事はない。
カガミは男の人差し指を取り、爪の際へ道具を添えた。
まだ力は加えない。
カガミ「……何をする道具かは、分かるみたいだね」
男の肩が上がった。
カガミはその顔を見ていた。
指先ではなく、呼吸と、食い縛られた顎を。
カガミ「話すなら、今でいいよ」
「……知らない」
カガミ「何を?」
「依頼人は、知らない」
カガミ「そう。じゃあ、標的は?」
男が口を閉じる。
カガミは頷いた。
カガミ「そこは、知っているんだね」
手元が動いた。
椅子が床を擦り、男の身体が大きく跳ねる。
押し殺そうとした声が、途中で悲鳴に変わった。
カガミはすぐに手を止めた。
カガミ「聞こえなかった。もう一度、標的を教えてくれる?」
男は答えず、荒い息を繰り返した。
カガミは水の入った杯を取った。
口元へ当て、一口だけ飲ませる。
カガミ「急がなくていいよ。息を整えて」
声は、先ほどと少しも変わらない。
男が水を飲み込むのを待ち、杯を置く。
それから、隣の指へ手を移した。
男の目が見開かれる。
カガミ「続ける前に、答えを聞こうか」
「……巫」
掠れた声だった。
カガミ「誰?」
「今日、召喚された……白龍の巫だ」
朔が壁から離れた。
カガミは道具を置く。
男の手を固定した革帯は、外さなかった。
カガミ「ツキノ様が標的。召喚された、その日のうちに。……ふうん」
道具を置き、指を布で拭いた。
それから、ゆめを見る。

カガミ「君は、満足した?」
一歩、二歩と近づき、目の前で止まる。
カガミ「……襟、まだずれているね」
浮いた襟の端を整えようと、指先が伸びた。
朔の手が、カガミの手首を掴む。
朔「触るな」
カガミ「——おや」
目が細くなった。
カガミ「それなら、朔が直してあげればいいでしょう」
「失礼だなぁ直せるよ自分で」
「あと直すの面倒だから、安全ピンとかない?」
カガミが一瞬、きょとんとする。
カガミ「安全ピン?」
薄暗い灯り。
道具の並んだ机。
椅子に縛られた刺客。
そこで求められたものが、安全ピンだった。
カガミ「ここ、尋問棟だよ。安全ピンがあると思う?」
朔の手は、まだカガミの手首を掴んでいる。
カガミは気にした様子もなく、ゆめを見下ろした。
カガミ「……動くたびにずれてしまうんだね」
視線が、首の横にできた細い隙間へ落ちる。
鎖骨も胸元も、重ねた襟に覆われたままだ。
その下に隠された逆鱗には、二人とも気づいていない。
朔「カガミ。見るな」
カガミ「襟を見ているだけだよ。……朔も、さっきから気にしていたでしょう?」
朔が黙る。
否定しなかった。
カガミは、その沈黙に口角を上げる。
カガミ「はいはい。安全ピンはないけれど——」
掴まれていない方の手で棚を探り、小さな金属のクリップを取り出した。
書類留め用の、細いものだった。
カガミ「これで我慢してくれる? 尋問の記録を留めるのに使っているものだけど」
ゆめの掌へ落とす。
指先が一瞬触れた。
カガミの指は冷たい。
カガミ「自分で直せるんでしょう? どうぞ」
そう言いながら、退かない。
朔が手首を放し、二人の間へ身体を入れた。
朔「報告は後で聞く。巫が標的なら、上に伝える必要がある」
カガミ「うん。……でも朔、誰に伝えるつもり?」
朔の動きが止まった。
カガミ「朧様に? 君たちが捕まえた刺客の情報だと、直接?」
沈黙。
カガミ「君たちの功績になるね。宴の夜に巫を狙った刺客を捕らえた。立派な手柄だ」
視線がゆめへ移る。
カガミ「ねえ、君はどうしたい? 朧様に直接報告する? それとも、《影》の長を通す?」
声は柔らかい。
選択肢を差し出すような口調だった。
カガミ(どちらを選んでも、面白いね)
カガミ(朧様の前に出れば、また、あの顔が見られる)
カガミ(この子を見る時の、あの壊れかけた目)
クリップを受け取ったゆめが、襟を留める。
朔の身体が目隠しになり、カガミからは手元だけが見えていた。
カガミ「……まあ、細かい報告は後でいいか。巫の警護には、先に知らせておいた方がよさそうだね」
朔「連絡を入れる」
短く答え、警護への伝達を手配する。
その間に、カガミはもう一人の刺客へ目を向けた。
カガミ「こちらは、まだ何も話していないからね」
足先で軽く姿勢を変え、顔を確かめる。
カガミ「二人目が起きたら、話を照らし合わせよう。仲介者の名前も、聞かせてもらわないと」
道具を手に取り直した。
金属が灯を反射する。
カガミ「見ていく? それとも、朔に連れて帰ってもらう?」
朔がゆめの背へ手を添えた。

朔「戻るぞ。これ以上は任務外だ」
カガミ「つれないね」
椅子へ腰を下ろし、道具を指先で回す。
ゆめを見上げる目が、細くなった。
カガミ「仲介者の名前が分かったら、君にも教えてあげる。だから——」
少し身を乗り出し、耳元へ声を落とす。
カガミ「また、遊びに来てね」
朔の手が、ゆめの肩を掴んだ。
無言で引き寄せ、尋問棟の戸を開ける。
夜気が頬を打った。
虫の声。
遠くの雅楽。
戸が閉まってから、朔が低く言った。
朔「……あいつの部屋に入り浸るな」
マスクの奥で、何かを噛み殺している。
襟は、クリップでしっかり留まっていた。
朔はそれを一瞥して、外周へ向き直った。