正規ヒロインはあちらです!06
外周に集まらないでください
「なんで外周にメインが2人もー!? そんな事してたらあのドS当主が……」
コツ、コツ、と靴音が響く。
「……当主サマが心配してキチャイマスヨォ」
規則正しい足音が近づいてくる。
回廊の闇に、白い影が浮かんだ。

朧だった。
扇で口元を隠し、正装の裾を夜風に揺らしている。背後には警護が二人。
最初に向けた視線は、ツキノへ。
朧「ツキノ様。宴の主役が席を外されては、列席の者が落ち着きません」
穏やかな声だった。

ツキノ「あ、すみません。耀様がいらっしゃらなくなったから、ちょっと心配で……」
ツキノ(朧様が直接来ちゃった……)
ツキノ(耀が、ゆめさんのところにいるのを見られてる)
朧の視線が、ツキノの肩越しに動く。
金髪。盃を手に、警護区域で悠然と立つ耀。
そして、その横に黒い髪。
扇を持つ指が、僅かに強張った。
朧「……耀様」
口元にはまだ笑みがあった。
声だけが、冷えている。
朧「我が月詠の警護に、何かご不安でも?」

耀は盃を傾け、にやりと笑った。
耀「いや? 優秀だぞ。少なくとも、ここにいる一人はな」
ゆめへ向けた視線を、隠そうともしない。
朧は一拍、黙った。
朧(——わざとだな)
朧(宴を抜け、黒髪の傍に立ち、私の前でそれを褒める)
朧(八咫の当主が、何のつもりだ)
扇が閉じられた。
乾いた音に、背後の警護が姿勢を正す。

朧「お前」
ゆめへ、視線が落ちる。
朧「警護中に来賓と巫を外へ引き出すとは。昼の処分では、まだ足りなかったらしい」
朔が一歩前に出た。
朔「当主。こちらから引き出したわけではありません。お二人が自ら——」
朧「お前には聞いていない」
静かな声だった。
大声で叱るよりも、よほど冷たい。
朧は朔を一瞥する。
朧「配置の責任者として答えるなら、後で記録を持って来い。今は、その口を閉じておけ」
朔の顎が、マスクの下で強張った。
朧はゆめの前へ進む。
朧「こちらを見ろ」
顎の下へ、閉じた扇の先を添える。
顔を上げさせる程度の力。だが、退けばそれも不敬だと言うつもりなのが分かる。
昼についた指跡へ、目を留めた。
朧「……もう薄くなったか」
独り言のように呟く。
その声には、労わりが欠片もなかった。
朧「跡が消えれば、何を言われたかも忘れるのか? 随分と都合のいい頭だな」
朔の手が、腰の短刀へ触れた。

ツキノ「あ、あの! 私が勝手に出てきたんです。ゆめさんは何も——」
朧が振り返る。
表情が、一瞬で柔らかくなった。
朧「ツキノ様。お気遣いは無用です。警護の指導は、私にお任せください」
ツキノ「でも……」
朧「中へお戻りください。夜風で身体が冷えます」

優しい声で、会話を終わらせる。
ツキノ(……私の話、聞いてない)
ツキノ(ゆめさんが悪くないって言ってるのに)
その場を離れられずにいるツキノを置いて、朧は再びゆめへ向き直った。
扇は、顎の下に添えたままだ。
朧「昼はツキノ様に頭を下げたそうだな。今度は私にも、同じようにできるか?」
目が細まる。
朧「その投げやりな態度も、一緒に直してやろう」
耀が盃を置いた。
縁側の板に、からん、と音が響く。

耀「朧」
敬称を落とした声に、朧の手が止まった。
耀「俺が勝手に来た。この子は警護をしてただけだ。処分の上乗せなんざ、筋が通らねえだろ」
「この子」。
その呼び方に、朧の目が細くなる。

朧「……八咫の御当主が、《影》の一兵を庇われるとは。随分とお優しいことで」
耀「事実を言ってるだけだ」
朧「こ奴は今朝、儀式の場で私に不敬を働いた者です。昼に処分を受けてなお、この有様。躾の途中へ口を挟まれるのは、ご遠慮いただきたい」
耀の笑みが消えた。
耀「躾?」
朧「礼節を教えているのです」
扇の先が、ゆめの顎から離れる。
解放したというより、耀の前で手を引いたような動きだった。
耀「礼節を教えるために、顎に跡つけたのか」
朧「月詠の内情です」
耀「その月詠の内情とやらで、優秀な戦力を飼い殺してんだろ。霊力も腕も、祝福持ちより上の奴を」
空気が張り詰めた。
警護の二人が互いに目を見交わす。
朔はゆめのすぐ隣へ立ち直った。
ツキノは柱に手をかけたまま、動けない。
ツキノ(耀が、ゆめさんを庇ってる)
ツキノ(原作では、こんなふうに守ってもらうのは——私だったはずなのに)
朧は耀へ返事をしなかった。
代わりに、ゆめを見下ろす。

朧「……八咫にまで取り入ったか」
声音が、ひどく静かになる。
朧「味方が一人増えれば、私の言葉を聞かずに済むと思ったか? 穢れた血で、随分と上手く立ち回る」
「取り入ってねぇわ、普通に話しただけ。」
「ですよお」
「穢れたとこなんで皆さん中に戻ったら??」
「雅楽とか誰も聞いてくれなくて涙目になってるかも」
軽い声が、夜の回廊に響いた。
朧は、すぐには口を開かなかった。
その沈黙の中で、ゆめの顔をじっと見る。
怯えない。
言葉を選ぶふりはしても、従う気はない。
朧(……まだ、そんな口が利けるか)
扇を持つ手が、ゆっくりと下がった。
朧「奏者の心配をする余裕があるとは、結構なことだ」
口元に、薄い笑みが浮かぶ。
朧「なら、自分の立場にも少しは気を配れ。庇われている間だけ強気になるのは、見苦しい」

朔「……当主」
朧「お前もだ、朔」
視線だけが動く。
朧「庇うたびに、こ奴は学ばなくなる。困るのはお前だろう?」
朔の拳が握られた。
言い返せば、またゆめへ向ける。
それを分かっているからこその言葉だった。
耀が、低く笑う。

耀「雅楽の涙目、か。確かにな。主役も来賓も当主も消えりゃ、奏者が一番可哀想だ」
張り詰めた空気を割るように、盃を拾い上げる。
耀「宴を潰すのは本意じゃねえ。戻ってやるよ」
それから、朧へ真っ直ぐ向き直った。
耀「ただし、これは俺の非だ。勝手に出たのは俺。この子に落ち度はない」
声が低くなる。
耀「処分を重ねるなら、八咫として正式に抗議する」
朧の指の中で、扇が軋んだ。
朧「……《影》の一兵のために、ですか」
耀「お前が一兵って呼ぼうが、俺の評価は変わらねえよ」
沈黙が落ちる。
庭の向こうで、雅楽が途切れた。
演目の切れ目なのか、誰かが宴の様子を気にしたのかは分からない。
朧は扇を開き、口元を隠した。
ゆめの黒い目が、まだこちらを見ている。
朧(また、その目だ)
頭を下げさせた時も、顎を掴んだ時も、消えなかった目。
もっと強く言えば伏せるのか。
どこまで追い詰めれば、その口から従順な言葉が出るのか。
そんな考えが浮かんだことに、朧自身が苛立った。

朧「……本件は、耀様のお言葉を承りました」
言い切ってから、ゆめへ声を落とす。
朧「勘違いするな。お前を許したのではない」
扇越しの目が、冷たく細まる。
朧「今夜は宴を優先する。それだけだ。次は、その口を開く前によく考えろ」
耀が何か言う前に、朧はツキノへ向き直った。
朧「ツキノ様。戻りましょう。皆が、あなたをお待ちです」
柔らかな声が戻る。
ツキノは一拍遅れて、頷いた。

ツキノ「……はい。戻りましょう、朧様」
笑顔を作る。
けれど、耀がゆめを庇った声が、まだ耳に残っていた。
ツキノ(モブのはずでしょ)
ツキノ(原作にいない人のはずなのに)
ツキノ(どうして、耀がああいう顔をするの)
ゆめの横を通り過ぎる時、視線だけが一瞬向いた。
ツキノ(……あなた、何者なの)
薄桃の裾が灯の向こうへ遠ざかる。
朧が続き、警護の二人も後に従った。
去り際、朧は朔へ言い残す。
朧「配置を守れ。これ以上、警護に余計な口を利かせるな」
朔「……承知しました」
朧は振り返らなかった。
黒い目をもう一度見れば、宴へ戻る足を止めそうだったからだ。
足音が遠ざかる。
虫の音が戻り、雅楽が遠くで再開した。
耀だけが、まだそこにいた。
耀「……あいつ、戻るまでに随分かかったな」
朧の消えた方を見ながら呟く。
耀「嫌いな奴の顔なんざ、あんなに長く見ていたくなるもんかね」
盃に残った酒を飲み干した。
それから、ゆめを見下ろす。
庭灯が顔の片側を照らし、黒い瞳が濡れたように光っていた。

耀「お前、自分がどういう顔してるか分かってねえだろ」
低い声だった。
朔が、割って入るように一歩踏み出す。
朔「耀様。宴に戻ってください」
耀は笑った。
今度は朔にも視線を向ける。
耀「分かってる。そんな顔すんなよ」
再びゆめへ目を戻した。
耀「——また来る」
朔「警護中です」
耀「じゃあ、警護が終わったらな」
軽く手を上げ、回廊を戻っていく。
金髪が、宴の灯の中へ消えた。
二人だけが残される。
朔の呼吸が、僅かに乱れていた。

朔「……あの男」
拳を握り、開く。
言いかけた言葉を飲み込んでから、ゆめの顎へ目を向けた。
新しい跡はない。それを確認して、ようやく視線を外す。
朔「警護に戻るぞ」
声が硬い。
歩き出した位置は、半歩先。
けれど、さっきよりも少しだけ、ゆめとの距離が近かった。