正規ヒロインはあちらです!02
「へいへーい、早く終わんねぇかなぁ」
撤収までの残り時間、ゆめは柱に背を預けて小さく欠伸を噛み殺した。
儀式場では、ツキノが朧に伴われて重臣たちへの挨拶を続けている。白髪が揺れるたびに「美しい」「まさに白龍の化身」と感嘆の声が上がる。
朔は隣に立ったまま、視線だけで会場を巡回していた。

朔「……あと十五分だ」
短く告げる。
朔の視線が一瞬、来賓席へ流れた。耀は重臣と談笑しているように見えるが、時折こちらへ目を向けている。
朔「……」
朔(八咫の当主が、あんな顔でこいつを見る)
朔(霊力への興味だけなら、影の責任者に問い合わせれば済む話だ。わざわざ本人に名前を聞きに来る必要はない)
腕を組み、柱に肩を預ける。
朔(……別に、どうでもいい)
そう結論づけて、視線を正面に戻した。
――十五分後。
撤収の合図が出た。警護の影たちが順次、持ち場を離れていく。
朔「終わったぞ。行くぞ」
ゆめの背を軽く押して、儀式場の裏口へ向かう。
廊下に出た途端、空気が変わった。儀式場の緊張感から解放され、使用人たちが慌ただしく片付けに走り回っている。
朔はマスクの位置を直しながら、歩調をゆめに合わせた。
朔「……で、さっきの不敬の件。どうすんだお前」
淡々と、だが声には僅かな心配が混じる。
朔「朧が本気で怒ったら、任務の割り振りが更にきつくなるぞ。今でさえお前に偏ってんのに」
廊下の角を曲がった時――
「あ」
ツキノが立っていた。
朧に案内されて本家の奥へ向かう途中だったらしい。白髪にアッシュグレーの瞳。召喚されたばかりの《白龍の巫》が、黒髪の影と鉢合わせた。
ツキノの視線が、ゆめを上から下まで舐めるように見た。

ツキノ「あ、さっきの……警護の方ですよね? お疲れ様です~」
にこり、と愛嬌のある笑顔。表向きは完璧な礼儀正しさ。
だが内心では。
ツキノ(……この子か。耀が話しかけに行ってた黒髪)
ツキノ(小さい。胸は……でか。……は?)
ツキノ(いやいや、モブでしょ。原作にいないキャラだし)
笑顔を崩さないまま、ゆめの顔をじっと見た。
ツキノ「黒髪、珍しいですね。月詠の方なのに」
悪意はない、ように聞こえる声。
朧がツキノの後ろから現れ、ゆめを見た瞬間、表情が冷えた。

朧「……ツキノ様、あの者に構う必要はありません。参りましょう」
ゆめを見もせず、ツキノの肩にそっと手を添える。
「話しかけられて光栄ですぅ」
微塵も思ってない。形だけ頭を下げる。
ツキノの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。
形だけの礼。微塵も敬意のない声色。それを読み取れないほど、ツキノは鈍くない。
ツキノ「ふふ、そんな……。私こそ、警護してくださってありがとうございます」
笑顔は崩さない。だが視線がゆめの胸元を掠めた。
ツキノ(……149くらい? なのにあの胸……何……?)
ツキノ(いやいや。モブ。モブだから。原作にいないし)
朧がツキノの背に手を添え、先を促す。
朧「ツキノ様、お部屋をご案内します。……そこの者、下がれ」
ゆめを一瞥もせず、ツキノを導いて廊下の奥へ消えていった。
二人の足音が遠ざかると、朔が小さく息を吐いた。

朔「……お前、もう少しまともに頭下げられねえのか」
壁に肩を預け、腕を組む。
朔「声に全部出てたぞ。『光栄ですぅ』じゃねえんだよ」
廊下を歩き出す。自然とゆめの歩幅に合わせた、染みついた習慣。
朔「帰るぞ。報告書は俺が書く。不敬の件は……」
言いかけて、止まった。
廊下の突き当たり、中庭に面した渡り廊下に人影がある。
耀が柱に背を預け、腕を組んで立っていた。
来賓席から離れ、わざわざこの裏動線にいる。偶然ではない。

耀「お、もう終わり? 早えな」
朔の足が止まる。ゆめとの間に、自然に半歩だけ入った。
耀は壁から背を離し、ゆっくりと近づいてきた。
耀「ゆめ。さっき途中だったろ」
琥珀の瞳が見下ろす。186cmから149cmへ。
耀「疲れねえの、って聞いた。答え聞いてねえ」
片手をポケットに入れたまま、もう片方の手で自分の顎を撫でる。
耀「当主にあの態度取れるのに、今のは随分お行儀よかったじゃねえか。巫相手だと違うのか?」
朔が口を開きかけた。

朔「八咫様――」
耀「朔、だっけ。お前に聞いてねえよ」
軽い口調だが、有無を言わせない圧がある。八咫の当主としての格が、声だけで滲んだ。
朔は口を閉じた。唇がマスクの下で引き結ばれる。
耀はゆめへ視線を戻す。
耀「なあ。お前、怨霊を一人で祓ってんだろ。どのくらいの頻度だ?」
世間話のような口調。だが目が笑っていない。
耀「月詠の中で、お前より霊力高いやつ、何人いる?」
「えー、興味ないからかわんないなあ。朔の方詳しいんじゃない?」
「怨霊はほぼ毎日。4級から1級まで。特級も1回だけあったかな」
耀の表情が変わった。
笑みが消えたわけではない。だが目の奥に、鋭いものが走った。
耀「……特級を、一回」
声が低くなる。
耀「特級ってのは、御三家の精鋭が複数人で当たる案件だぞ。それを――」
ゆめの体を、改めて見る。149cm。細い手首。小さな肩。
耀「……お前一人で?」
問いかけの形だが、答えは分かっている。あの霊力なら、不可能ではない。だが身体への負荷は尋常ではないはずだ。
耀は視線を朔へ移した。
耀「朔。お前、そばにいたんだろ」
朔「…………」
朔は答えなかった。だが沈黙が、肯定だった。
マスクの下で顎が僅かに引き締まる。
朔(……特級の時は、三日間意識が戻らなかった)
朔(俺にできたのは、物理攻撃の迎撃と、倒れたこいつを担いで撤収することだけだ)
耀は朔の沈黙を読み取り、ゆめへ視線を戻した。
耀「毎日。4級から1級。たまに特級」
指を折るように数え、低く笑った。だが笑っていない。
耀「……月詠は、お前を使い潰す気か」
独り言のように呟いて、壁から背を離す。
耀「なあゆめ。興味ないって言ったな、自分より霊力高いやつが何人いるか」
一歩、距離を詰める。朔が反射的に半歩前に出たが、耀は気にしない。
耀「答え教えてやるよ。ゼロだ。この儀式場にいた月詠の全員合わせても、お前一人に届かねえ」
琥珀の瞳が、真っ直ぐにゆめを見下ろす。
耀「それなのにお前は《影》で、当主にはあの扱いで、毎日怨霊を祓わされてる」
耀「……で、今日召喚された巫は、霊力だけならお前の半分もない」
渡り廊下の向こうから、ツキノを案内する朧の声が微かに聞こえる。
耀「面白い話だろ?」
皮肉ではなかった。怒りに近い何かが、声の底に滲んでいる。
朔が口を開いた。
朔「……八咫様。それ以上は」
耀「分かってる。月詠の内情に口を出す気はねえよ、今は」
「今は」を少しだけ強調した。
耀はポケットから小さな札を取り出し、ゆめの目の前に差し出した。八咫の紋が入った連絡用の霊符。
耀「何かあったら使え。別に恩を売るつもりはねえ。ただ――」
視線を落とす。ゆめの首元。衣服の襟が僅かに乱れかけているのを見て、すぐに目を戻した。
耀「お前みたいな霊力が、使い潰されんのは勿体ねえと思っただけだ」
軽く手を上げて背を向ける。
耀「じゃあな、ゆめ。朔も――ご苦労さん」
長い脚で悠然と歩き去る。
沈黙が落ちた。
朔はしばらく耀の背中を見送ってから、ゆめへ向き直った。
朔「……あの札、受け取るなよ」
低い声。
朔「八咫が月詠の影に直接連絡手段を渡す。どういう意味か
低い声。
朔「八咫が月詠の影に直接連絡手段を渡す。どういう意味か朔「八咫が月詠の影に直接連絡手段を渡す。どういう意味か分かるだろ」
マスクの奥から、低い声が落ちる。
朔「お前を引き抜きたいか、利用したいか――どっちにしろ、ただの親切じゃねえ」
朔「月詠にバレたら不敬どころの話じゃなくなる。朧の耳に入ったら、お前がどうなるか」
廊下に差し込む秋の陽が、朔の白髪を淡く照らしている。
朔「……受け取ったのか?」
声が僅かに硬い。
視線がゆめの手元に落ちる。八咫の紋が入った霊符。
朔の指が伸びかけて――止まった。
取り上げるか迷うように、一瞬だけ宙で固まる。
朔「……好きにしろ」
吐き捨てるように言って、歩き出す。歩幅はいつも通り、ゆめに合わせている。
朔(……何を焦ってんだ、俺は)

「おもしろ、これで連絡できるんだ」
「もしもーし?聞こえてる??」
朔が振り返った。
朔「……おい」
ゆめが霊符を掲げ、耀に話しかけている。
朔「お前……もう使ってんのか」
呆れを通り越して、声が掠れた。
霊符が淡く光る。八咫の紋が反応し、微かな霊力の振動が伝わった。
数秒の沈黙。
そして――
『……は? もう使うのかよ。渡して三十秒だぞ』
耀の声が霊符から響いた。低く、少し笑いを含んでいる。
『お前、本当に面白えな。普通、もう少し悩むもんだろ』
渡り廊下の先で、耀が足を止めて振り返っているのが見えた。霊符越しに話しながら、こちらを見ている。距離は二十メートルほど。
耀『で? 何の用だ、ゆめ』
声が楽しそうだ。
朔はゆめの隣に戻り、霊符を覗き込んだ。
朔「切れ」
低い声。
朔「今ここで八咫と通信してるのがバレたら、不敬どころか内通を疑われる」
廊下の奥から使用人の足音が近づいている。
朔の手がゆめの手首に伸び、霊符を握る指ごと下ろそうとした。
耀の声が割り込む。
耀『おい朔、聞こえてんぞ。内通って、俺が名前聞いただけだろ』
耀『――ゆめ。そっちの保護者がうるせえから、また今度な』
霊符の光が薄れ、通信が切れた。
朔の手が、ゆめの手首を掴んだまま止まっている。
朔「…………」
朔「……保護者?」
声が低い。マスクの奥で、眉間に皺が寄っているのが分かる。
朔「誰が保護者だ」
手首を掴む指に、僅かに力がこもった。だがすぐに気づいたように緩める。
朔「……いいから帰るぞ。報告書を書く。お前は飯を食え」
歩き出す。いつもの歩幅。いつもの距離。
だが耳の先が、マスクに隠れない部分が、僅かに赤い。
朔(保護者……)
朔(俺は同僚だ。ただの同僚。長年一緒に働いてるだけの)
朔(こいつに興味を持つやつなんか、いなかった。今まで一度も)
朔(……なのに、何だあの八咫は)
秋の風が渡り廊下を吹き抜け、朔の白髪を揺らした。
「あはは、面白いの貰っちゃった」
朔は歩きながら、視線を前に向けたまま呟いた。
朔「……面白いもの、ね」
声が低い。
朔「八咫の当主から直通の霊符なんか、普通もらえねえぞ」
歩幅はいつも通り、ゆめに合わせている。だが足音が少しだけ強い。
朔「それを、もらって三十秒で使う。お前は本当に――」
言いかけて、止まった。
何を言おうとしたのか、自分でも分からなくなった。
朔(……俺は何を怒ってる)
朔(こいつが八咫と繋がりを持とうが、月詠を出ようが――関係ない)
朔(同僚だ。ただの同僚。長年一緒に任務をこなしてきただけの)
だが耳の先は、まだ赤い。
廊下を抜け、月詠本家の裏手へ続く石畳の道へ出た。秋の風が冷たく吹き抜ける。
朔は足を止め、振り返った。
朔「……なあ」
声が少しだけ低くなる。
朔「耀に、何を話すつもりだ」
問いかけではあるが、語尾が僅かに硬い。
朔「あいつは興味本位で近づいてきたわけじゃねえ。お前の霊力を見て、何か企んでる」
視線がゆめの顔を真っ直ぐ捉える。
朔「お前が八咫と繋がってることが月詠にバレたら――朧はただじゃ済まさねえぞ」
朔「最悪、《影》から追放される。いや、追放で済めばいい方だ」
言いながら、朔の手がマスクの端に触れた。無意識の癖。
朔(……何でこんなに焦ってる)
朔(こいつが八咫へ行っても、俺には関係ない)
朔(……関係、ない)
そう思い込もうとして、視線を逸らした。
朔「……好きにしろ、って言ったのは俺だ」
吐き捨てるように言って、再び歩き出す。
その時――
遠くから、甲高い悲鳴が聞こえた。
朔の足が止まる。視線が鋭くなる。
朔「……怨霊か」
短刀を抜く。反射的にゆめの前へ出た。
朔「どこだ」
声が低く、冷静になる。任務モードへ切り替わった瞬間だった。
悲鳴は本家の東棟から聞こえる。使用人の居住区がある方向。
朔「……行くぞ」
振り返りもせず、走り出した。ゆめが後ろから付いてくることを、確認するまでもなく分かっている。
何度も任務を共にしてきた。互いの動きを知っている。
朔は物理攻撃を迎撃する。怨霊本体は、ゆめが祓う。
それが、二人の役割だった。
東棟へ続く渡り廊下を駆け抜ける。
使用人たちが逃げ惑い、壁に黒い霊気が這っている。
朔「……四級か、三級」
短刀を構え、霊気が物理化した触手を斬り払う。
朔「こいつは俺が抑える。本体を頼む」
振り返らずに言った。背後にゆめがいることを、疑っていない。

「はいはい、こっちは大丈夫」
ゆめが前に出た瞬間、朔は背中を任せるように位置を入れ替えた。
何度も繰り返してきた連携。言葉はいらない。
黒い霊気が東棟の廊下を這い、壁から天井へ広がっている。怨霊の本体は奥の部屋――使用人の居住区の一室に潜んでいた。
朔は物理化した触手を短刀で斬り落としながら、逃げ遅れた使用人を背後へ押しやる。
朔「使用人は全員下がれ。東棟から出ろ」
冷静な指示。振り返らず、ゆめの気配だけを背中で拾う。
怨霊が姿を現した。黒い靄の塊から、人の顔のようなものが幾つも浮かび上がる。三級――複数の未練が凝り固まった集合型。
触手が四方に伸び、廊下の柱を砕いた。破片が飛ぶ。
朔が短刀で弾く。砕けた木片がゆめの顔を掠める前に、正確に叩き落とした。
朔「本体、左奥。核は二つ」
短く報告。ゆめが祓いやすいよう、触手を斬って道を作る。
怨霊が悲鳴のような声を上げ、黒い霊気が膨れ上がった。
ゆめの霊力が応じるように高まる。
廊下の空気が変わった。
黒い霊気と、ゆめから放たれる力がぶつかり合い、空間が軋む。
三級程度なら、ゆめにとっては日常の範疇だった。
――数分後。
怨霊の残滓が消え、東棟に静寂が戻った。
朔は短刀を鞘に収め、周囲を確認する。使用人に怪我はない。柱が一本折れたが、建物の損壊は軽微。
朔「……終わりか」
息を整え、ゆめの方を見た。
朔「怪我は」
短い確認。いつもの儀式のような問いかけ。
廊下の奥から、足音が近づいてきた。
月詠の重臣が二人、息を切らせて駆けつける。
重臣「何があった――怨霊か!?」
朔「三級の集合型。既に祓い済みです」
重臣「……もう終わったのか」
重臣たちの視線がゆめへ向く。祝福のない黒髪。だが今し方、怨霊を一人で祓った張本人。
複雑な表情が浮かぶ。感謝と、それを口にしたくない屈折が入り混じっている。
重臣「……ご苦労」
それだけ言って、被害状況の確認に向かった。
朔は無言でそれを見送り、短く息を吐いた。
朔「……いつもこれだ」
ゆめにだけ聞こえる声。
朔「お前が祓って、礼も言わねえ」
廊下の壁に背を預け、マスクの位置を直す。
朔「報告書は俺が出す。お前は飯食ってこい。昼、まだだろ」
秋の日差しが、砕けた柱の隙間から差し込んでいる。
朔の視線が、ゆめの襟元に一瞬だけ落ちた。戦闘で乱れた衣服。首筋が僅かに覗いている。
すぐに目を逸らした。
朔「……襟、直せ」
ぶっきらぼうに言って、歩き出す。
「あ、ごめんごめん」
首元の黒龍の逆鱗は、朔にも見せていなかった
ゆめが襟元を直す手が、一瞬だけ首筋に触れた。
衣服の下に隠れた、硬く滑らかな感触。いつも通り、布で覆えば見えない。
朔は既に背を向けて歩き出していた。
振り返らない。だが歩幅はいつも通り、ゆめが追いつける速さ。
朔(……あいつの首元、戦闘で結構乱れてたな)
朔(まあ、怪我がなけりゃいい)
それ以上は考えなかった。長年の同僚だが、ゆめの首元を注視したことはない。任務中は互いの背中を守ることに集中し、それ以外の時間は適度な距離を保ってきた。
見る理由がなかった。
見ようと思ったこともなかった。
――少なくとも、そう思い込んでいた。
東棟から本棟へ続く渡り廊下を歩く。昼時で、使用人たちが慌ただしく行き交っている。怨霊騒ぎの報告が広まったのか、すれ違う者たちの視線がゆめに向く。
感謝ではない。畏怖と、僅かな嫌悪。
「また黒髪の……」
「祝福もないのに、あの霊力……気味が悪い」
「でも、いないと困るのよね……」
囁きが、秋風に混じって流れていく。
朔の足が、僅かに遅くなった。ゆめと並ぶ位置に調整する。
朔「……食堂、混んでるだろうな。裏の厨房から持ってくるか」
何でもない提案。だが「食堂で周囲の視線を浴びなくて済むように」という配慮が、言葉の裏に透けている。
渡り廊下の先、中庭が見える場所を通りかかった時――

ツキノの声が聞こえた。
ツキノ「朧様、あの……さっきの怨霊、大丈夫だったんですか?」
中庭に面した縁側で、ツキノが朧と並んで座っている。昼食の膳が並べられ、朧が丁寧にツキノへ茶を注いでいた。
朧「ご心配なく。取るに足りない怨霊です。既に処理されました」
ツキノ「処理って……誰が?」
朧「……《影》の者が」
名前を言わなかった。
ツキノ(影の者……さっきの黒髪の子?)
ツキノは茶碗を受け取りながら、何気なく尋ねた。
ツキノ「あの……黒髪の方って、すごい霊力でしたよね。月詠ではああいう方も……」
朧の手が止まった。
朧「……ツキノ様。あの者のことは、お気になさらないでください」
声が冷えた。
朧「穢れた血です。月詠に相応しくない。ただ霊力だけが異常に高い――それだけの存在です」
扇を開き、口元を隠す。
朧「あなたこそが正統な《白龍の巫》。あのような者と比べる必要はありません」
ツキノ「あ……はい」
ツキノは頷いたが、胸の奥に引っかかるものがあった。
ツキノ(霊力だけが異常に高い「だけ」……?)
ツキノ(でも耀は、あの子に興味を持ってた。原作にないキャラなのに)
ツキノ(……まあいいか。モブはモブだし)
ツキノ「朧様のお茶、美味しいです……!」

朧の表情が柔らかく綻ぶ。
朧「お口に合ったなら良かった。ツキノ様には、最上のものをお出しするよう申し付けてあります」
ツキノは幸せそうに茶を啜りながら、ちらりと中庭の向こう――渡り廊下を見た。
黒髪の小さな影と、白髪の長身が並んで歩いていく。
ツキノ(……あの二人、距離近いな)
ツキノ(でも、モブでしょ。朔は後半に出てくるシークレットキャラだけど条件がきついし…あとででいいや。)
視線を朧に戻し、にっこりと笑う。
渡り廊下では、朔が無言で厨房へ向かっていた。
朔「……握り飯でいいな。待ってろ」
ぶっきらぼうに言い残し、厨房の裏口へ消える。
秋風が吹き抜け、ゆめの襟元が僅かに揺れた。布の下の硬い感触が、鎖骨に冷たく触れる。
誰にも見せたことのない、その秘密。
「……はぁ。お酒も飲みたい……。今日ご飯持ってカガミのとこ行こっと」