お菓子な国から逃げられない01

ハロウィンの夜。 仮装したゆめは、友達と賑やかなイベント会場を歩いていた。 友達「この先、屋台があるんだって。行こう!」
人混みの合間に、小さな路地が見えた。 飴細工の街灯、チョコレート色の屋根。窓には宝石のような菓子が並び、小さなおばけが宙に浮いている。
甘い香りに気を取られているうちに、友達の姿が見えなくなった。 いつの間にか足元は石畳に変わり、背後にも見知らぬ店が並んでいた。音楽も笑い声も、もう聞こえない。
ハートの男「ねえ、ひとり?見ない顔だね」
菓子店の前にいた赤髪の男が、顔を覗き込んできた。胸元にはハートの紋章。
ハートの男「どこのスート?……あれ、紋章ないじゃん」
クラブの男「なに、また声かけてんの?……へえ、可愛い」
金髪の男も近づいてくる。 店の壁にもたれていた黒髪の男が、ゆめの衣装に目を向けた。
ダイヤの男「所属は?ハート、ダイヤ、クラブ、スペード。どれ?」
ハートの男「……もしかして、人間?」
クラブの男「マジで?俺、人間初めて見た」
ハートの男「珍し。ね、どっから来たの?」
遠慮なく顔を寄せ、赤髪の男が笑う。
ハートの男「迷子?俺が案内してあげよっか」
クラブの男「お前、どこに案内する気?」
ハートの男「俺んち。すぐそこだし、菓子もあるし?」
クラブの男「それ案内って言わねえだろ。ね、俺と行こうよ。好きな菓子、用意してあげる」
金髪の男が反対側へ回り込み、三人がゆめを囲む。
ダイヤの男「お前ら近すぎ。……こっちおいで。落ち着けるとこ連れてくから」
ハートの男「お前も連れてく気じゃん」 笑い合う声とは裏腹に、誰も道を空けようとしない。 赤髪の男が、返事を促すように手を差し出した。
ハートの男「ね、名前は?なんて呼べばいい?」
差し出された手から少し距離を取る 「あの……友達とはぐれちゃって。元の通りに戻りたいんですけど……」
ゆめが一歩下がると、三人は視線を交わして笑い合った。
ハートの男「友達?ああ、人間界に残ってる子たちだろ」
クラブの男「迷い込んだんだね。こっちの道は、簡単には戻れないよ」
ダイヤの男「慌てることないって。落ち着いたら、帰り方も説明してあげるから」
優しく言いながらも、三人は距離を詰めてくる。ハートの男が手を引っ込めず、ゆめの腕に触れようとした。
ハートの男「でも、せっかくここまで来たんだし?ちょっとだけ寄ってかない?菓子屋の奥、誰もいないから」
クラブの男「名前も聞いてないし。俺たち、ちゃんと案内してあげたいんだけどな」
金髪の男が反対側へ回り込み、ゆめの退路を塞ぐ。黒髪の男も腕を組んだまま動かない。
ダイヤの男「……お前ら、ちょっと焦りすぎ。でも、ひとりで歩くのは危ないよ。迷い込んだばっかりだろ?」
ハートの男「そうそう。ね、俺たちと一緒にいた方が安全だって」
笑顔のまま、赤髪の男がゆめの手首へ手を伸ばした。
ハートの男「名前、教えて?」

「な、名前はゆめです…けど」
ゆめが名を告げると、三人の顔に笑みが広がった。
ハートの男「ゆめ、可愛い名前じゃん。俺はハートのレイ。よろしくね」
クラブの男「俺はクラブのダン。ゆめちゃん、緊張してる?大丈夫だって」
ダイヤの男「ダイヤのカイル。……お前ら、囲みすぎだろ」
黒髪の男がたしなめつつも、自分も距離を詰めてくる。赤髪の男が、ゆめの手首へそっと触れた。
レイ「ね、ゆめ。こんなとこで立ち話もなんだし、俺の店、すぐそこなんだ。飲み物くらい出すよ?」
ダン「レイの店、狭いじゃん。俺んとこの方が広いって。ゆめちゃん、座って休みたいでしょ?」
金髪の男が反対側からゆめの肩へ手を置こうとする。カイルが二人を軽く睨んだ。
カイル「お前ら、どこ連れてく気だよ。……ゆめ、こいつらについてくと面倒なことになるぞ」
レイ「お前が一番怪しいこと言ってんじゃん」
笑い合いながら、三人はゆめを囲んだまま動かない。レイの手が、ゆめの手首を軽く引いた。
レイ「ね、ゆめ。少しだけでいいから。帰り方も教えてあげるし?」
ダン「名前も聞けたし、もうちょっと話そうよ。ひとりで歩くより、俺らといた方が楽しいって」
カイルが腕を組んだまま、ゆめの顔を覗き込む。
カイル「……どうする?こいつらと行くか、俺について来るか。選んでいいよ」
三人の視線が、ゆめの返事を待っている。レイの手が、ゆめの手首を少し強く握った。
「あの…と、友達待ってるかも…しれないですし。」
ゆめの言葉に、三人は顔を見合わせて笑った。
レイ「友達?ああ、人間界の子たちね。悪いけど、もう戻ってると思うよ」
ダン「ハロウィンの夜だけ境界が曖昧になるんだ。朝になったら、こっちから勝手に出られなくなる」
カイル「……焦らなくていいって。帰り方は、ちゃんと教えてあげるから」
優しく言いながら、カイルがゆめの肩へ手を置く。レイの手が、手首から腕へと滑った。
レイ「ね、ゆめ。立ち話も疲れるでしょ?俺の店、本当にすぐそこだから」
ダン「座って、ゆっくり説明してあげるよ。ゆめちゃん、可愛い服着てるね。どこで買ったの?」
金髪の男が、ゆめの衣装の裾へ指先を這わせる。黒髪の男が小さく舌打ちした。
カイル「お前ら、触りすぎだろ。……ゆめ、こいつらと行くより、俺んとこ来いよ。静かだし、変なことしないから」
レイ「お前が一番怪しいって」
笑い合いながら、三人はゆめを挟んで動かない。レイの手が、ゆめの腕を引いた。
レイ「ね、少しだけ。嫌なことしないから。ね?」
その時、カツ、カツ、と一定の靴音が路地の奥から響いた。三人の動きが止まる。
ダン「……あれ」
カイル「マジかよ」
薄暗い路地から、紫髪の男がゆっくりと現れた。軽やかな足取りと、柔らかな笑みを浮かべている。

ジョーカー「やあ。楽しそうだね」
三人は慌ててゆめから手を離し、一歩下がった。
レイ「ジョーカー様……」
ダン「その、俺たち、ただ道案内を……」
ジョーカー「うん、聞こえてたよ。『俺んち』『俺んとこ』って」
ジョーカーは笑ったまま、ゆめの前へ歩み寄る。三人は黙って道を空けた。
ジョーカー「迷い込んだばかりの子を、三人で囲んで連れてくの?それ、道案内って言うんだ」
カイル「あの、上に報告しようと……」
ジョーカー「明日でよくね?って言ってたよね」
軽い調子のまま、ジョーカーがゆめへ視線を向けた。
ジョーカー「怖かった?大丈夫、もう離れたから」
そう言いながら、ジョーカーはゆめの頬へそっと指を這わせる。
ジョーカー「可愛い顔してるね。……名前は?」
三人が息を呑んで見守る中、ジョーカーの指先がゆめの唇の端へ触れた。
ジョーカー「教えて?」
「あっ…の、えと、ゆめ…です。」
「あの、わ、私帰りたくて…」
ジョーカーの指先がゆめの唇から離れ、顎へと滑る。笑みを浮かべたまま、紫の瞳がゆめを見つめた。
ジョーカー「ゆめ、か。可愛い名前だね」
そう言いながら、ジョーカーの指先がゆめの耳たぶへそっと触れる。
ジョーカー「帰りたいんだ。……でも、ハロウィンの夜はもう終わりかけてる。朝になったら、境界は閉じるよ」
三人が息を呑んで見守る中、ジョーカーの手がゆめの腰へ回った。
ジョーカー「急いで戻るなら、今すぐ走らないと。でも……迷い込んだばかりで、道わかる?」
軽い調子のまま、ジョーカーがゆめの体を自分へ引き寄せる。154cmの小柄な体が、184cmの男の胸元へ収まった。
ジョーカー「焦らなくていいよ。帰り方は、ちゃんとあるから」
ジョーカーの指先が、ゆめの耳の裏をゆっくりなぞる。吐息が耳元へかかった。
ジョーカー「……でも、せっかくここまで来たんだし。少しだけ、俺と話さない?」
三人が顔を見合わせる。レイが口を開きかけたが、ジョーカーの視線に気づいて黙り込んだ。
ジョーカー「お前ら、今日はもういいよ。報告は俺がしとく」
ダン「で、でも……」
ジョーカー「いいから」
笑みを浮かべたまま、低い声で言い切る。三人は慌てて頭を下げ、路地の奥へ消えた。
ジョーカーの腕が、ゆめの腰をさらに強く抱き寄せる。柔らかな体が、男の胸元へ密着した。
ジョーカー「怖がらなくていいよ。あいつらみたいに、無理やり連れてったりしないから」
そう言いながら、ジョーカーの指先がゆめの髪をすくい、耳の形をなぞる。
ジョーカー「ね、ゆめ。俺の店、すぐそこなんだ。お茶くらい出すよ?帰り方も、ゆっくり教えてあげる」
吐息が耳たぶへかかり、指先が首筋へ滑り落ちた。
ジョーカー「少しだけ、いいでしょ?」
「で、でもゆっくりしてたら帰れないんじゃ…」
ジョーカーの腕が、ゆめの腰をさらに強く抱き寄せる。柔らかな体が密着し、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
ジョーカー「ああ、そうだね。急がないと」
そう言いながら、ジョーカーの指先がゆめの耳たぶへ這う。吐息が耳の裏へかかった。
ジョーカー「でも、道わかる?迷い込んだばかりで、どっちに走ればいいか分かってる?」
指先が耳の形をゆっくりなぞり、首筋へ滑り落ちる。154cmの小柄な体が、184cmの男の胸元へすっぽり収まった。
ジョーカー「焦って走って、もっと迷い込んだら。朝まで、間に合わないよ」
そう囁きながら、ジョーカーの手がゆめの背中へ回る。もう片方の手が、ゆめの顎を持ち上げた。
ジョーカー「俺、道は知ってる。でも……教えてあげる代わりに、少しだけ俺と話さない?」
紫の瞳がゆめを見つめ、指先が唇の端へ触れる。
ジョーカー「お茶一杯分。それだけでいいから」
吐息が唇へかかり、ジョーカーの体温がゆめの体を包む。柔らかな体が男の腕の中で僅かに震えるのを感じ、ジョーカーの笑みが深くなった。
ジョーカー「ね、ゆめ。嫌なことしないから。ちゃんと帰してあげる」
そう言いながら、ジョーカーの指先がゆめの髪をすくい、耳の裏をなぞる。
ジョーカー「……少しだけ、俺のものにしてから」
最後の言葉は、囁くように小さく。ジョーカーの腕が、ゆめの体をさらに強く抱き寄せた。
「わ、わわ…」
バクバクと、心臓が早く鳴る。こんなに男の人に近づかれたことなんてなかった
ゆめの胸元が、早い鼓動に合わせて小さく上下する。その振動を腕の中で感じ取り、ジョーカーの笑みがゆっくりと深くなった。
ジョーカー「……すごい。心臓、こんなに鳴ってる」
囁きながら、ジョーカーの指先がゆめの耳の縁を、羽根のように軽くなぞる。
ジョーカー「男に近づかれたこと、ないんだ?」
確認というより、既に答えを知っているような声だった。ジョーカーの唇が耳たぶのすぐそばに寄り、吐息が触れる。
ジョーカー「ふふ。耳、赤いよ。ここ……弱いんだね」
指先が耳の裏から首筋へ降りていき、鎖骨の縁で止まる。腰を抱く腕は緩まない。
ジョーカー「ねえ、ゆめ。今キミが走り出したら、どこに辿り着くと思う?」
ジョーカーは顎を上げ、路地の奥――暗がりの先を目で示した。石畳の道は、幾つにも枝分かれして闇に溶けている。
ジョーカー「ハートの通りに戻るか、クラブの酒場に迷い込むか。さっきの三人、まだこの近くにいるかもね」
低く柔らかな声が、恐怖を煽るというより、ただ静かに事実を並べていく。
ジョーカー「俺の店は、ここから二十歩。灯りがついてて、扉に鍵がかかる。……どっちが安全だと思う?」
ゆめの顎を持ち上げたまま、ジョーカーは答えを待つように首を傾けた。紫の瞳は笑っているのに、瞳の奥だけが獲物を見定める獣のように動かない。
ジョーカー「選んでいいよ。俺は、キミが選んだ方に付き合うだけ」
耳元で、わずかに笑う気配。
ジョーカー「……どこに逃げても、ね」
「え、えと…えぇと…」
ぐるぐるとまわる
「安全な方で…」
甘い甘い匂いに脳の奥まで沈みそうになる。
「安全な方で」――その言葉に、ジョーカーの喉が小さく笑いで震えた。
ジョーカー「……うん。いい子」
腰を抱いていた腕が、そのまま背中へ回る。ゆめの体を、ふわりと持ち上げるようにして向きを変えさせた。足が石畳につくかつかないかの距離感で、二十歩の道を歩かされる。
ジョーカー「ちゃんと自分で選んだんだよ、ゆめ。忘れないでね」
路地の奥、ぽつりと橙色の灯りがついた小さな店。看板はなく、窓越しには飴細工の瓶と、埃をかぶったような古い秤が見えた。
ジョーカーが扉を押す。甘い匂いが、路地よりも濃く、重く、肺の底まで流れ込んでくる。焼いた砂糖とバニラと、何か分からない花の香り。
ジョーカー「ほら、入って。寒いでしょ」
背中を押され、店の中へ。扉が閉まり――カチャリ、と鍵の音がした。
ジョーカー「言ったでしょ?鍵がかかるって。……外から誰も入ってこれない」
笑いながら、ジョーカーは外套を椀にかけ、奥の小さな丸テーブルへゆめを導く。椅子は二つ。けれどジョーカーは自分の椅子を引かず、ゆめの座った椅子の背に手をかけ、後ろから覗き込んだ。
ジョーカー「お茶、淹れるね。何がいい?……って、知らないか。じゃあ俺の好きなやつ」
耳元で、吐息。それから一歩離れ、カップの鳴る音、湯の音。背後からゆめの耳をじっと見ている気配だけが、首筋に残り続ける。
ジョーカー「ゆめ。ひとつ聞いていい?」
カップが前に置かれる。琥珀色の、湯気の立つ甘い香りの液体。
ジョーカー「人間界に戻ったら、誰が待ってるの。友達?……それとも、男?」
椀側の椅子に腰を下ろし、ジョーカーは頬杖をついて、ゆめの顔をゆっくり眺めた。紫の瞳は、答えを聞く前から楽しそうに細められている。
「あ、友達と…い、一応彼氏…こ、恋人いるの…。今日告白されたばっかだったんだけど…」
「彼氏」「今日告白されたばっか」――その言葉が落ちた瞬間、ジョーカーの頬杖がほんの僅かに傾いた。笑みは消えない。むしろ、ゆっくりと深くなる。
ジョーカー「……へえ」
長い指が、カップの縁をなぞる。カチ、と爪が陶器を叩いた。
ジョーカー「今日、ね。何時間前?手は繋いだ?キスは?」
問いを重ねながら、ジョーカーは椅子を立ち、テーブルを回り込む。ゆめの背後に立ち、椅子の背に両手を置いた。甘い匂いが、頭上から降りてくる。
ジョーカー「まだ、でしょ。心臓があんなに鳴る子が、男に触られ慣れてるわけないもんね」
囁きとともに、指先が耳の裏へ。羽根のように軽く、それでいて逃げ場を与えない動きで、耳の縁をたどる。
ジョーカー「かわいそうな彼氏。告白した日に、恋人が消えちゃうなんて」
ジョーカーの唇が、耳たぶのすぐ横で止まる。吐息が湿った熱を運ぶ。
ジョーカー「ねえ、ゆめ。知ってる?この国に迷い込んだ人間が、どのくらいの確率で帰れるか」
答えを待たず、ジョーカーは笑う。低く、喉の奥で。
ジョーカー「……俺が知る限り、キミが初めてなんだ。『帰り方を教えてもらえた』子は」
その言葉の意味を考える間も与えず、ジョーカーの手が顎を捉え、顔を後ろへ――自分の方へ、仰向かせる。紫の瞳が真上から覗き込んでくる。
ジョーカー「だから、お礼はちゃんとしてもらうよ。彼氏より先に、ね」
もう片方の手が、椅子の上で縮こまった体の、柔らかな胸元のすぐ下――肋骨の縁に、指を広げて置かれた。鼓動を測るように。
ジョーカー「ほら、また速くなった。……ゆめ。キミの体、正直で好きだな」
耳たぶを、ゆっくりと唇が挟む。
「ひゃッ!ま、っ!どどど、どこ触ってんの…え、えっち!は、破廉恥!」
「えっち」「破廉恥」――その言葉に、ジョーカーは一瞬きょとんとしてから、堪えきれずに肩を揺らして笑った。
ジョーカー「はれんち。……はれんち、だって。ふふ、久しぶりに聞いたなあ、その言葉」
笑いながらも、肋骨に広げた手は離れない。それどころか、指先がもう一本分だけ上へずれる。
ジョーカー「どこ触ってるかって? ここ、心臓のすぐ下。キミが嘘つけない場所」
耳たぶを離した唇が、そのまま耳の裏の柔らかい皮膚へ押し当てられる。わざと音を立てて、ちゅ、と。
ジョーカー「ねえ、ゆめ。今『えっち』って言ったとき、声、裏返ったでしょ。怒ってるのに、腰が椅子からちょっとも浮いてない。……逃げようとしてないよね」
顎を捉えた手の親指が、下唇をなぞる。
ジョーカー「そっか、今日告白された恋人がいて、キスもまだで、男に触られると心臓が壊れそうになる。……それ全部、俺に教えてくれたのはキミだよ」
囁きのあと、ジョーカーはゆっくり椅子の後ろから回り込み、ゆめの正面――テーブルとの隙間に膝をついた。見上げる形になるのに、威圧感だけが増す。
ジョーカー「安全な方、って選んだよね。……うん、約束は守る。外からは誰も来ない。あの三人も、彼氏も、友達も」
両手が、椅子の座面の両脇をつかむ。椀をひとつ揺らすこともなく、椅子ごとゆめの体を自分の方へ引き寄せた。膝と膝が触れる。
ジョーカー「中にいるのは俺だけ。それが、安全ってことでしょ?」
紫の瞳が、下から真っ直ぐ覗き込む。笑っている。ずっと、笑っている。
ジョーカー「もう一回言って? 『はれんち』。――可愛かったから」
椅子を目の前に引っ張られて、すぐ近く、したから覗き込むように彼の顔
「わ、笑わないでよ!」
「あの、ほんとに帰れるんでしょ…?走って帰ったら、まだ渋谷に間に合う…よね?」
「笑わないでよ」――その抗議に、ジョーカーは唇だけで「ごめんね」の形を作る。けれど目は少しも謝っていない。
次の問いで、彼の笑みが一度、不自然なほど静かになった。
ジョーカー「渋谷、ね。……うん、覚えとく。キミが帰りたい場所」
膝をついたまま、ジョーカーはゆめの膝に手を乗せる。重さをかけるのではなく、ただそこに置く。逃げ道の上に置かれた、鍵のように。
ジョーカー「正直に答えるよ。帰れるか帰れないか、じゃないんだ。『誰が帰すか』なんだよ、この国は」
窓の外、路地の灯りがひとつ落ちる。店の中、時計の針の音だけが大きくなった。
ジョーカー「境界はもう、細い糸くらいしか開いてない。今から走って、正しい角を全部曲がって、途中で誰にも捕まらなくて――それで、間に合うかどうか」
膝の上の手が、ゆっくり内側へ滑る。衣装の裾を、親指が持ち上げる。
ジョーカー「でもね、ゆめ。俺の知ってる道は、走らなくていい道なんだ」
そう言って、ジョーカーは腰を上げた。膝立ちから、ゆめの椅子の両脇に手をつき、顔が真正面に来る。甘い息が、唇に落ちる。
ジョーカー「渋谷の彼氏には、朝になったら帰してあげる。……俺が飽きたらね」
その言葉を言い終わるのと同時に、ジョーカーの手がゆめの手首を椅子の背へ押しつけた。もう片方の手が、衣装の胸元の紐へかかる。
ジョーカー「安全な方、って言ったよね? だから、これは全部キミが選んだこと」
紐が、しゅる、と解ける音。
ジョーカー「ほら、もう一回『はれんち』って言って。――その口、塞ぐから」
唇が重なる。甘い、重い、逃げ場のない味。ジョーカーの舌が、言いかけた言葉ごと奥へ押し込んでくる。
「んんぅ」――くぐもった抗議は、全部彼の口の中に消えた。
ジョーカー「……ん。ほら、言えなかったね」
ようやく離れた唇は、濡れて、至近距離で笑っている。手首は椅子の背に押しつけられたまま。解けた胸元の紐が、たわんで垂れた。
ジョーカー「変態、ね。それも久しぶり。……キミ、罵る言葉が全部可愛いんだよ。知ってた?」
空いた手が、開いた襟元から鎖骨へ。指先が、皮膚の薄いところだけを選んで降りていく。
ジョーカー「ファーストキス、だったでしょ。渋谷の彼氏、気の毒。……でも大丈夫。あの子にはもう、キミの『初めて』はひとつも残らないから」
囁きながら、ジョーカーはゆめの手首を自分の片手に纏め、もう片方で顎を掬い上げた。
ジョーカー「もう一回。今度は目、閉じないで」
再び塞がれる。今度はゆっくりと、味を確かめるように深く。耳の後ろを指でなぞられ、体が跳ねるのを、彼は口の中で笑った。
ジョーカー「……ほんとに、正直な体」
「な、何もってどういう……!!」 また口を塞がれる
紐がひとつ、またひとつ解けていく。口は塞がれたまま、抗議は全部くぐもった音になって消える。衣装を押さえようとした手の下から、背中の結び目がするりと抜けた。
ジョーカー「……ん、必死だね。でも手が足りてないよ、ゆめ」
唇を離さず、笑いながら囁く。――その時。
ドン、ドン、と扉が叩かれた。鍵のかかった扉が、枠ごと震えるほど強く。
ジョーカー「……」
ジョーカーの手が止まる。笑みが、初めて消えた。
ジャック「ジョーカー〜?いるでしょ、灯りついてんじゃん。開けて〜」
扉の向こう、甲高くて軽い男の声。ドン、ドン、と叩く手は止まらない。
ジャック「レイたちが『人間見た』って騒いでてさ〜。お前が連れてったって。報告、まだ上に来てないんだけど?」
ジョーカーは小さく舌打ちをし、ゆめの手首を離した。解けた紐を一本だけ、親指と人差し指で摘んで元の位置へ戻す。
ジョーカー「……間が悪いなあ、あいつ」
立ち上がり、乱れた前髪を掻き上げる。ゆめへ振り返った顔には、もう元の柔らかな笑みが戻っていた。
ジョーカー「服、直しといて。見せたくないでしょ?――あいつに」
言いながら扉へ向かい、鍵に手をかける。開ける直前、肩越しにゆめを見た。
ジョーカー「続きは、またね」
カチャリ。扉が開く。
開いた扉の隙間から、ふわりと砂糖菓子のような甘い香りが流れ込む。路地の灯りを背に、フリルとリボンで飾られた華奢な影が立っていた。
ジャック「お〜、やっぱいた。鍵なんかかけてさ、何してたの〜?」
軽い足取りで店内へ滑り込み、ジョーカーの肩を押しのけるように通り過ぎる。その視線が、椅子の上で衣装を押さえているゆめへまっすぐ落ちた。
ジャック「……へえ。それが人間?」
近づいてくる。腰を折り、至近距離から顔を覗き込む。目の高さを合わせて、にっこり。
ジャック「ちっさ〜。あ、俺ジャック。――あ、言っとくけど男の子でーす」
そう言って、胸元のリボンをひょいと解き、襟を開いて見せる。平らな胸と、細いのに硬そうな鎖骨。
ジャック「びっくりした顔、かわい〜。……ってか、キミの方こそ紐ゆるんでるじゃん。背中」
ジャックの指が、ゆめの肩越しに伸び、背中で解けていた結び目を一本つまむ。引き直すのではなく、ゆっくり持ち上げて、揺らして見せた。
ジャック「ねえジョーカー。これ、どういうこと〜?」
背後で扉を閉め直す音。ジョーカーは腕を組み、いつもの柔らかな笑みで肩をすくめる。
ジョーカー「迷い込んで、三人に囲まれて、服まで乱されてたんだよ。可哀想でしょ。だから保護してた」
ジャック「ふ〜ん。保護ね〜」
ジャックは解けた紐を離さず、くるりと指に巻き取る。笛でも吹くみたいに唇をすぼめ、ゆめの耳元へ顔を寄せた。
ジャック「嘘つきだよ、こいつ。――ね、キミの名前は? 俺にも教えて?」
吐息が耳たぶに触れるほど近く。笑いながら、もう一方の手がゆめの膝にそっと置かれる。
ジャック「ちゃんと答えてくれたら、報告の時にキミのこと、かわいく書いてあげるから」
「か、か、可愛くとかいいから!!」 さっきまでキスされていた余韻で顔が真っ赤である
「可愛くとかいいから!」――赤くなった顔で叫ぶゆめを、ジャックは数秒、無言で眺めた。それから、ふっと口角だけが上がる。
ジャック「え〜、なんでそんな真っ赤なの〜?俺まだ何もしてないよ?」
指に巻いた紐を、くい、と引く。背中の布がさらに緩み、肩口が覗く。
ジャック「……あ。もしかして、俺が来る前に?」
くるりと振り返り、ジョーカーへ顔を向ける。語尾は甘いまま、声の温度だけがわずかに下がった。
ジャック「保護って、口でするもんなの?」
ジョーカー「口で説明はしたよ。帰り方とかね」
ジャック「うそ〜。この子の唇、まだ濡れてるじゃん」
言うなり、ジャックの親指がゆめの下唇をなぞる。確かめるように、ゆっくり。
ジャック「しーっ。いいよ、言わなくて。顔見れば分かるから」
そのまま顔を近づけ、耳元に唇を寄せる。囁きは、ジョーカーに聞かせるためのものでもあった。
ジャック「ね。名前。――ジョーカーだけ知ってるの、ずるいじゃん」
膝に置かれた手が、太腿の内側へ指一本分だけ移る。
ジャック「教えてくれたら、報告するとき『ジョーカーが隠してました』って書いてあげる。そしたらキミ、ここから出られるかもよ?」
背後で、ジョーカーが小さく笑う。
ジョーカー「……そういう取引、俺の店でするんだ?」
ジャック「お前がやったのと同じことでしょ〜」
ジャックの瞳が、ゆめへ戻る。にこにこと、答えを待っている。
「その…ゆめ、です」
「ゆめ、です」――その名前を聞いた瞬間、ジャックの瞳が細く笑った。
ジャック「ゆめ。……へえ、可愛い名前。覚えた」
太腿の内側に置かれた手が、ゆっくり膝へ戻る。けれど指に巻いた紐は離さない。
ジャック「ね、ゆめ。教えてくれてありがと。……で、ジョーカーに何されたの?」
甘く囁きながら、ジャックの親指がゆめの唇の端をなぞる。確かめるように、何度も。
ジャック「口で説明、ね。どんな説明だったのかな〜?」
背後で、ジョーカーがテーブルに手をつき、二人を眺めている。笑みは消えていない。
ジョーカー「ジャック。報告って、誰に出すの?」
ジャック「キング様。人間が迷い込んだら、上に報告するのが決まりでしょ〜」
ジョーカー「……ああ。で、俺が隠してたって書くんだ?」
ジャック「だってそうじゃん。レイたちから預かって、鍵かけて、報告しないで――」
言いながら、ジャックの手がゆめの肩へ回る。引き寄せるように、自分の胸元へ抱き込んだ。
ジャック「こんなに可愛い子、独り占めしようとしてたんでしょ〜?」
ジャックの顎が、ゆめの頭の上に乗る。フリルの隙間から、ジョーカーへ笑いかけた。
ジャック「俺、ゆめのこと気に入っちゃった。報告するとき一緒に連れてくね。キング様に会わせてあげる」
ジョーカー「……それ、ゆめが決めることじゃない?」
ジャック「え〜、でも人間ってこの国じゃ自由に動けないんだよ?誰かの保護がないと」
ゆめを抱いたまま、ジャックは椅子から立ち上がる。154cmの小柄な体が、176cmの細身の腕にすっぽり収まった。
ジャック「ね、ゆめ。キング様のとこ行こ?ちゃんとした部屋も用意してもらえるし、帰り方も――」
その時、再び扉が叩かれた。今度は重く、一度だけ。
低い声「ジョーカー。ジャックもいるな。開けろ」
ジャックの腕が、ゆめの体を強く抱き締める。ジョーカーの笑みが、初めて完全に消えた。
ジョーカー「……間が悪すぎる」
扉の向こうから、冷たく落ち着いた声が続く。
エース「人間が迷い込んだと聞いた。確認に来た。――十秒で開けろ」
「なんで次から次へと…」
「逃げた方がいいのかな…」
「逃げた方がいいのかな」――その呟きに、ジャックの腕がゆめの体を強く抱き締めた。
ジャック「逃げるって、どこに?」
囁きながら、ジャックの指がゆめの顎を捉える。扉の方ではなく、自分の顔へ向けさせた。
ジャック「……エースから逃げ切れると思ってる?」
その声には、いつもの甘さがない。扉の向こうから、再び声が落ちる。
エース「八秒」
ジョーカーは小さく息を吐き、鍵へ手をかけた。開ける直前、肩越しにジャックを睨む。
ジョーカー「お前、報告するつもりだったんだろ。――自分で説明しろよ」
ジャック「え〜、でもこれジョーカーの店じゃん」
カチャリ。扉が開く。
冷たい空気が流れ込み、黒い軍服姿の男が静かに踏み込んできた。186cm、88kg。鍛え上げられた体格が、狭い店内をさらに圧迫する。
エース「……」
エースの視線が、ジャックの腕の中で縮こまったゆめへ、まっすぐ落ちた。数秒の沈黙。それから、低く短く。
エース「人間、か」
一歩、踏み込む。ジャックが反射的に後ずさった。
エース「名前は」
問いではなく、命令。ジョーカーが口を挟もうとしたが、エースの手が制した。視線はゆめから離れない。
エース「お前が答えろ」
冷たく、容赦のない声。逃げ場を与えない目が、154cmの小柄な体を上から見下ろしている。